第三百三章 王女様のお望み 1.モルファン情報部
その日――名立たる大国モルファンの情報部は、イラストリアへ留学中の王女アナスタシアから届けられた要請に、打ち揃って溜息を吐いていた。
「陛下じゃなくて自分たち宛に要請を出しても、どうせ国王府の確認と許諾が要るんだから、意味が無いと思うんですがね」
「王女様はそれくらいご存じだろうさ。あのお方の狙いは、この件を蒸し返して報告させる事だろう」
「あぁ……報告を受けた以上、陛下もどうするかの判断を下さざるを得ませんからねぇ」
「却下するならするで、然るべき理由が必要になる。イラストリアへ留学中の王女殿下に、陛下が隔意を持たれている……なんて噂が立ったら事だろうが」
「……アナスタシア殿下も結構えげつないですね」
「あの方は昔からこんなだよ。或る意味ではご兄妹の中でも屈指の遣り手かもな」
――と続けて部下を軽くドン引かせた後、マーカスの現状がどうなっているのかの報告を求める。
「……と言っても現在あの国には、そこまで多くの諜報員は派遣していません。それほど重要性は高くなかったですから」
「『古代マーカス帝国』の仮説については?」
「正直、そこまで詳しくは。『船喰み島』や『ロトクリフ』の場合と違って、最近になっていきなり持ち上がって来たトンデモ仮説ですから」
「ぽっと出の俄仮説だからな。歴史の検証を経てないって訳だ」
エビデンスも何も無い、ほとんど法螺噺に近い代物なので、そこまでの重要性は感じなかったらしい。
しかし――アナスタシア王女の指摘と併せて見直すと、これは一考の余地がありそうだ。
「失われた国土の回復ねぇ……」
「万に一つ、いや千万に一つの可能性だとしても無視はできませんね」
「マーカスという国がどう考えていようと、妙な考えに凝り固まったやつらが増えたりすると……確かに、国でも持て余す可能性はあるか」
「古代マーカス帝国」の範囲とやらを嘗ての国土だなどと言い出す輩が出て来たり、剰えそれが増えたりすると、面倒な事になる可能性は捨てきれない。
ただし逆に言えばそれは、
「巷間に流布している噂噺の内容とその信用度、それを把握してさえいれば対応は可能――か」
「筋は通っていますね……」
「危惧が現実のものとなる可能性は、もう限りなく低いがな」
「ですが――」
「あぁ。可能性がある以上、それに備えるのが俺たちの仕事だ。況して必要とされているのは、どこぞの貴族家に忍び込んでお宝を調べる――なんて離れ業じゃない。噂の動向を見張るだけだからな」
「情報部を動かすためには、これ以上無いほどの殺し文句ですねぇ……」
――とは言え、それなら態々凄腕のエージェントを派遣する必要は無い。入ったばかりの駆け出しにだって務まる仕事だろう。いや……
「そう言えば……確かアムルファンの商人に、早耳自慢のやつがいたな?」
「あぁ、彼に頼むという手がありますね」
――斯くして、アムルファンの商人ラスコーがマーカスを訪れる筋道が整えられた。




