第三百二章 王女様はご不満 2.不撓不屈の好奇心~ロイル家次男に向けて~(その1)
イラストリア王国王立講学院。
イラストリア王国の最高学府であり、基本的には王国の明日を担う(筈の)青少年の育成を目的としている。生徒は貴族家子弟子女が多いが、身許素性が確かで然るべき学力を備えてさえいれば、身分階級を問わず受け容れてもいる。
国民だけでなく他国からの留学生も受け容れているが、特に今年はモルファンの王女が急遽留学を決めた事で、何かと騒がしい状況になっている。
王女留学とは無関係に進学を決めた者たちにとっては傍迷惑……とまでは言わないにせよ、少なくとも困惑すべき事態であった。
――況や、入学する気も無かったのに王女と同じクラスに投げ込まれ、剰えその元凶に何故か見込まれた者にとっては。
「フェルナンド! いる!?」
……そんな尊き元凶が颯爽と入室するや否や、矢庭に声をかけたものだから、哀れな少年は跳び上がる羽目になった。
「何よ。そこまで驚かなくてもいいじゃない」
「い、いや……驚くのが当然だと……」
思いっきり腰を引かせてしどろもどろに応対しているこの少年、名前をフェルナンド・ロイルという。名前からお解りのようにロイル卿の次男であり、更に言えばリスベットの直ぐ上の兄であった。
学究肌のロイル一族に相応しくというのか、地球風に言えば文化人類学や比較文化論と呼ばれる分野に興味を持っていたのだが……それが災いしてマナステラ王国上層部の思惑に捉えられ、本人の知らないうちにイラストリアの王立講学院に留学する事を決められた少年である。
彼の運命を面白……想定外に捩じ曲げた原因となったのは、モルファンから王女留学の打診を受けたイラストリアが、モルファン側の希望に応えんものとノンヒュームの講師募集に踏み切った事にあった。
ノンヒュームに対する善隣外交を唱えてきたマナステラにとっては、隣国イラストリアがこのところノンヒュームとの誼を深めている事実は、切歯扼腕の対象でしかなかった。このままイラストリアの後塵を拝し続ける訳にはいかぬと考えたマナステラであったが、イラストリアへ派遣すべき講師候補の人材などおらず、次善の策として彼らが選んだのが、文化や習俗に関心を持つというロイル家の次男をイラストリアの王立講学院に派遣するという奇策であった。
当初は聴講生という案で動いていたのだが、それでは立場が弱くなるのではとの懸念から、正式な留学生として派遣する事が決められた……フェルナンドは無論、父親たるロイル卿にすら何の相談も無く。
横暴な話には違い無いのだが、費用の一切は国が持つとまで言われた上に、本質的には悪い話ではないとして、ロイル卿もこの提案を呑み、フェルナンドもまた――どこか煮え切らぬ思いを抱きつつも――納得して留学に及んだのである。
その結果、アナスタシア王女と同じクラスに振り分けられたのは、まぁ確率の為せる業であったと納得もできた。素よりフェルナンドに期待されているのは、第一にノンヒュームとの友誼を少しでも深める事であり、モルファン王女との外交折衝などは任務の外――の、筈であった。
……話がおかしな方向へ転がりだしたのは入学後、より正確に言えば五月祭の後の事である。
五月祭の見学を終えてバンクスから帰還したアナスタシア王女が、一クラスメイトでしかなかった筈のフェルナンドに声をかけ、戸惑うフェルナンドと二言三言の会話を交わした後に、
〝あまりリズには似ていないのね?〟
……と、不用意にも宣ったのが因果な切っ掛けであった。
「リズ」こと迷姫リスベットは確かに良い子である。その事を否定するつもりは露ほども無い。しかしその一方で、彼女の特技たる迷子の後始末に、フェルナンドをはじめとする家族一同が奔走させられた事も五度や六度や十度ではきかない……というのもまた厳然たる事実である。必然的な帰結としてリスベットの評価は、家族の立場からしても、毀誉褒貶が相半ばするものにならざるを得ない。
――そんな彼に対して〝リズに似ていない〟などと、それもガチガチに緊張している状態で、その緊張の元凶から問いかけられたらどうなるか。
しかも、不幸な事にこの時フェルナンドは、妹リスベットが五月祭でアナスタシア王女に御目見得した事を知らなかったため、この問いかけは完全な奇襲となった。
もしもこの時、王女がリスベットの名ではなくロイル卿の名を出していたら、フェルナンドもここまでパニクったりはしなかったかもしれない。実際、王女は五月祭の後バンクスでロイル卿とも歓談しているのだから、卿の名を出しても不自然ではなかったのだ。
しかし、実際に王女が口に出したのはリスベットの名であり、その事実に不意を打たれて動転したフェルナンドは軽くパニクってしまい、鬱積していた複雑な感情の迸るままに、混沌とした長広舌を弾丸のように捲し立てるという挙に出たのである。
……縦横斜め裏表のどこから見ても、大国の姫君に対する態度ではないのだが、フェルナンドの剣幕と混乱があまりに天晴れなものであったため、王女もリッカも毒気を抜かれ、咎めの言葉など出て来なかった。
いや寧ろ、或る意味で大した奴だと認識され、以後頻々と声をかけられる結果となったのである。




