挿 話 王国欠き氷事始め 4.ベルフォール「比較文化史学」講義(その2)
王女の言葉にう~むと唸る生徒たち。成る程、食文化の発生もその受容も、環境条件を抜きに考える事はできないのだ。「比較文化史学」とはこういうものなのか。
生徒たちがウンウンと頷いている中、王女一人は別の事に思いを馳せていたようで、ベルフォールにその点を質問する。即ち、モルファンからイラストリアに向けて、雪や氷を商う事はできないのか――と。
これに対するベルフォールの答えは、
「できないとは言わんが、幾つかの点で難しいだろう」
――と、いうものであった。
「商品が雪や氷なのだから、当然高値を吹っかける訳にはいかん。そうすると、運搬の費用や人件費を償還するためには、量を商う必要がある。となると、一般的なマジックバッグでそれだけの量を運べるかという問題が出て来る」
「成る程……」
「唯でさえ融け易い雪や氷を、マジックバッグ抜きで大量に運ぶというのは難しい。融けてしまえば唯の水だ。商売上のリスクは半端無く大きいだろう。手を着ける者がいるかどうか」
「確かに……」
「ただし逆に言えば、マジックバッグで運べる程度の量を商う……言うなれば、個人レベルの取り引きならできるかもしれん。しかし、この場合はイラストリア側の事情も考えねばならない」
「イラストリア側の……?」
「……事情?」
あまり一般には知られていないようだが、欠き氷の要たる欠き氷機は、全てが王国の所有になる。王国は酒造ギルドと商業ギルドにこれを貸与し、両ギルドは更にそれを商人に貸し出す事によって、欠き氷の製造販売を管理している。
また、欠き氷の原料となる氷の方は、ギルドお抱えの魔術師が製氷作業に当たっており、業者はギルドから氷を購入して製造している。商人が個人的に抱えている魔術師もいるが、必要量の氷を賄うには到底足りないため、ギルドの紐付きとなっている状況は変わらない。
「つまり、個々の商人が自前で氷を入手するような事が黙認されるかどうか」
ギルドの資金源を潰すようなものだから、当然好い顔はされないだろう。尤も、
「氷の生産量が需要を賄うに足らず、原料の不足が解消できない場合は、取り引きが成立する可能性も無くはないが……不確定要素が多いのが問題だな。それに、食品衛生上の問題がある」
「食品衛生上の……」
「問題……?」
野外から採集した雪や氷を、単なる冷却媒体としてではなく、食材として取り扱うというのなら、〝食べても大丈夫〟である事を証明しなくてはならない。どうやってそれを可能にするか。
「モルファンではその方面の研究が進んでいるとか?」
「……どうでしょうか。ただ、本質的には生水を飲むかどうかの問題と同じだと思いますが」
「決定的な違いは、煮沸消毒が不可能という点にあるな」
「……そうですね」
生物を生きたままマジックバッグに収納できないという事実に鑑みれば、マジックバッグに収納する事で殺菌を行なうという事も考えられなくはない。ただ、こちらの世界では「病原微生物」という考え方自体が未発達であり、マジックバッグを消毒代わりに使うという考えが受け容れられるかどうかは未知数であった。
つまり、これらの諸点を考えると、
「同じ雪を使うんなら、国内から運んで来たものを使うのが筋だろう」
「ですね……」
――という具合に、王女の提案は敢えなく潰れたのであったが、この議論が生徒たちに与えた影響は大きかった。雪や氷の取り引きにおいてすら、これだけ様々な要因が関わってくるのだ。食の文化というものは、それを取り巻く様々な要因を含めて考え検討する必要がある。……これは単に「食」の問題としてではなく、普遍的な問題として心に留め置くべきだろう。
「さて……そろそろ講義時間も終わりだが、最後に一つ、欠き氷の調味料について付言しておこう。
「先程の試食でも解ったと思うが、市販されている欠き氷には、『シロップ』とでも言うべきものがかかっている。基本は唯の砂糖水だが、値段に上乗せすれば、果実のジュースやジャムを所望する事もできる。この辺りは昨年の『搗ち割り氷』や『雪菓子』と同じだな」
ほぉ――と感心の声を上げる生徒たちに、ベルフォールは悪戯っぽい笑いを向けると、
「ただ……王都の市民には知恵者がいたようでな。店が出すシロップを謝絶すると、自分で持ち込んだ辛口のワインをかけて食した者がいたそうだ。今はビールをかけて食べる者も出て来たようでな。これがまた好評を博しているらしい」
呆気に取られる生徒たちに手を振って、ベルフォールは教室を出て行ったのであった。




