第三百章 新任助祭の奮闘~マーカス篇~ 9.ヤルタ教
ヤルタ教教主ボッカ一世はその日、マーカスからの緊急報告書を前に考え込んでいた。
テオドラム・マーカス・マナステラの三国が関わっている、ダンジョンと黄金に纏わる与太噺の真偽を探ってくるように――と、情報部の新人に(今にして思えば)過大な密命を授けて送り出したところ、流石は情報部期待の新鋭だけあって、予想もしないネタを掘り出してきた。
……まぁ、当初の目的からは些かならずズレているのだが、それはご愛敬というものであろう。
(しかし……これは、はてさてどうしたものか……)
新人が急ぎ送ってきた報告に拠れば、マーカス――正確にはその貴族の一部――が時ならぬ遺跡探索熱に浮かされているのはまだしも、それに絡んで「マーカス古代帝国仮説」とやらが巷間に流布しており、上も下も、老いも若きも、寄ると触るとこの話で持ち切りなのだという。
まぁ、自分が住んでいる場所に嘗て広大な大帝国が栄えていたというのは、如何にも郷土愛を擽られそうな話だ。マーカスの国民が熱狂するのも解らなくはない。……仮にその「古代帝国」が、今のマーカス王国ともその国民とも、遺伝的にも文化的にも無関係であったとしても。
報告の中でマクリーヴが指摘している点は四つ。
・マクリーヴの見るところ、古代帝国仮説を提唱してレムダック調査隊を案内した霊感師とやらは、どうもペテン師臭い。これに関しては、他の冒険者たちも同様な印象を受けている。
・国民の全てが仮説を信じているのではなく、ペテン臭いと懐疑的な見方をしている者も少なくない。ただ、そういった者たちも、謂わば知的な娯楽としては、この仮説を歓迎している。
・霊感師に誘導されたレムダック卿の調査隊は、モルヴァニアとの国境を成す山地で洞窟を発見したが、それは嘗てのダンジョン跡地、今風に言うならば「ロスト・ダンジョン」であるという。調査隊はその洞窟で先住民――調査隊の見解に拠れば、古代帝国の避難民――の遺物と目されるものを幾つか発見している。
ただし、一旦ダンジョンという状況下に置かれていたため、考古学的な証拠を得る事は難しく……はっきり言えば、捏造の証拠は期待できないという。
・レムダック調査隊の「成果」は、国民の多くからは懐疑的な目で見られているが、仮説信奉者たちはそれに反撥しており、半ば意地になって仮説を立証しようと奮闘している。
そして、以上の内容を踏まえた上でマクリーヴが献策しているのは、
(信じる者も信じない者も等しく「古代帝国仮説」に囚われている今は、マーカスの貴族にも隙がある。しかし、この熱狂が冷めた時には、生じた隙も消える可能性が高い。故に、マーカスに伝手を作ろうとするならば、今の機に乗ずるのが得策……か)
成る程、新鋭と呼ばれているのは伊達ではないようだ。若いに似ず確かな識見である。そんな彼を見出して重用したのは自分なのだ……と、内心で些か得意になる教主であったが……今はそれより先に考えるべき事がある。
マクリーヴの指摘には聴くべきものがあったが、教主の見るところ、肝心のピースが欠けていた。即ち、マーカス貴族の間に如何にして伝手を作るのかというピースが。
それは諜報部の職掌ではないとして敢えて記さなかったのかもしれぬが、
(……ハラドなら然り気無く対策案の一つも匂わせておくのだがな。ま、若者にそこまでを期待するのは酷というものか)
さてそうなると、若者が描いた絵に〆の一筆を加えるのは、経験豊かな大人の仕事だろう。
教主は盃を手にすると、機嫌好く思案を巡らせていった。
(ふむ……報告に拠ると、件の仮説にのめり込んでおる……即ち付け込む隙があるのは、貴族の一部という事であったな)
であれば、そこに伝手を築くのが妥当だろうが……実は、ヤルタ教は貴族との付き合いはそれほど得意ではない。
いや、ヴァザーリ伯爵やバレン男爵とはそれなりの友誼――共犯関係とも言う――を結んでいたのだが、基本的には民衆の不満に寄り添って、支持を稼いできたのがヤルタ教である。不案内な国で見ず知らずの貴族相手に伝手を求めるなど、お世辞にも得意とは言い難い。
(じゃからと言って、指を銜えてこの好機を見逃すというのも芸が無いしの)
目指す貴族の歓心を買うために、何か贈り物でもしてみるか? この場合、相手が大いに喜びそうなのは、件の仮説に関する甘言だろうか。
(……駄目じゃな。俄仕立ての知識でいい加減な事を言って、後で馬脚を現すような事になっては目も当てられん。霊感師の一味と見られるのも業腹じゃし……何より、今のマーカスにはその手の輩はウヨウヨと湧いて出ておる筈。有効な策とは成り得まい……)
教主は暫し杯を傾けながら思案に沈んでいたが、やがて何かを思い付いたようだ。
(……何も敢えて甘言なぞ弄して、歓心を買う必要は無いではないか。報告に拠れば、件の仮説はほぼ眉唾もので、孰れ顧みられなくなるのは必至じゃという。……周囲遍く敵となって心が折られそうな時、そっと寄り添って支えてやればよい。心挫けそうな者を救い導くのは、ヤルタの神の御心にも沿うだろうて)
薄く嗤った教主は、この時点でレムダック卿一派に狙いを付けた。
さてそうなると、レムダック一派に取り入るためには、件の仮説に合致しそうな古物の一つも探しておいた方が良いだろう。何、探せばそれっぽい骨董の一つや二つ、どこにでも転がっているものだ。
とはいえ、
(出来うるならマーカス近辺で見つける方が良いか。……マクリーヴという男に探させる手もあるが……折角ならあやつは伝手作りに精を出してもらった方が良い。……新たな者を派遣して探させるのが良かろうな)




