第二百九十八章 迷彩柄の波紋 1.エルギン
エッジアン・クロスを扱っている出店で、アナスタシア王女のお付きの一人が一枚の布に食い付いたという情報は、その日のうちにホルベック卿の知るところとなった。
注進に及んだ者の位置からは、件のお付きがどのような柄に騒いでいたのかは確認できなかったが、そこはホルベック卿が――領主の威信と嘆願によって――訊き出した。
そうして、見せられた見本の端切れ――試作品の切れっ端らしい――は、ホルベック卿には何とも奇妙なものに思われたが……茶系と緑系の配色と、何より鬱ぎ屋クンツの助言によって、ホルベック卿は正解に辿り着いていた。
その後は、見本を参考に自力で迷彩っぽく塗った布を用意して、実際に野外で試すだけ……だったのだが、
「ふむ……柄のせいで見えにくぅなっておるのかどうか、ちと判らんの」
「地面に置いただけではですねぇ」
抑カモフラージュには二つの考え方があり、一つは背景に溶け込む事、もう一つは輪郭を不明確にするというものである。
クロウが試作した迷彩柄は、染料のうち余った色を適当に配置しただけの「なんちゃって迷彩」であり、エルギンの景観に似せるなどは考慮していない。故に、布一枚をそのまま地面や茂みに置いただけでは、迷彩の効果は判りにくかった。
このまま失敗作の烙印を押されるのかと思われたが、
「……御前、こりゃ試し方が拙いのかもしれませんぜ」
事によると事が事になりかねないとの判断から、信用のおける家臣を選んで試験を行なっていたのだが、そこにアドバイザーとして引っられてきた鬱ぎ屋クンツが、冒険者ならではの視点からコメントを加えた事で流れが変わる。
もしもこれが野外での使用を前提にしているのなら、それは衣服としての利用の筈。実際に着用しての検証を怠って、軽々に判断を下すのは拙いのではないかと言い出したのである。
これは極めて妥当な意見と思われたので、その方向での検証も進める事にしたのだが…… 試験のために服を態々仕立てるというのも面倒なので、適当に裁断した布を手足や胴体に巻き付けて林の中に立たせてみたところ、
「ほほぉ……」
「こいつぁどうして」
「人の輪郭が判りづらくなっていますね」
配色や仕立てが甘いせいか。完全に背景に溶け込む事はできなかったが、人としての輪郭を不明確にする効果は確認できた。つまりこれが、モルファンのお付きをあそこまで動揺させた理由なのだろう。
「ふむ、やはりこれは看過しておけぬ技術のようじゃ。国にも報告せねばならんし、エッジ村にも一言届けておくべきじゃろう」
ホルベック卿の判断は妥当なものと思われたが、
「俺らにはちと解んねぇ話なんですがね、そういうの」
「ふむ、獣人は種族的に気配を絶つ事に長けておると聞くからの。態々こういうものに頼る必要は無いのじゃろう」
「あー、それはあるかもしんねぇです」
「エルフなら隠蔽など魔法でどうにかするじゃろうしの。じゃが、そういった技倆に秀でておらん儂らのような者にとっては、中々役立つ代物と思えるのじゃよ」
言われてクンツも考え直す。
ホルベック卿の言に一理あるとしたら、これは狩人や冒険者にも有用なものとなるかもしれぬ。だが……
「……こいつで服を仕立てるってなると、普段使いするには悪目立ちしませんかね?」
「……するじゃろうのぉ……」
つまり、新たに服を仕立てる必要があるという事だ。それも山林でしか使えないようなものを。
「金の無い冒険者にゃ縁が無さそうですな」
「……そうかもしれんのぉ」




