第二百九十七章 夏祭り in エルギン 3.アナスタシア王女(その1)
夏祭りと言えば秋の収穫に先立って行なわれる予祝儀礼の一つであり、同時に暑い夏の時期に体調を崩さずに過ごせる事を願うものでもあった。元々は新年祭と対をなすもので、一年の半分を無事に過ごせた事への感謝と、一年の残り半分も無事に過ごせるようにとの祈りを、各々が信じる神に捧げる祭礼である。
そして……夏本番を前にして、農作物の健やかな生育と豊穣を願う予祝儀礼であるという事は、
「……この先はもっと暑くなるという事……ですか?」
ウンザリとかゲンナリを軽く越えて、気息奄々の二、三歩手前といった風情で問いかけたのは、アナスタシア王女の近侍の一人・リッカである。無論、彼女も答えを期待していた訳ではなく、単なる愚痴のつもりであったのだろうが……これに律儀に答えを返した者がいた。リッカと同じくアナスタシア王女の近侍・ゾラである。
「聞くところに拠ると、暑さの本番は来月らしいですよ。再来月には少し涼しくなるそうですけど」
そう答えたゾラも、やはりウンザリ・ゲンナリという表情を隠そうともしない。彼女たちの主であるアナスタシア王女も、更には侍女頭として立ち居振る舞いに一家言ある筈のミランダ嬢までがそうなのだから、イラストリアの夏はモルファン勢には余程に堪えたものと見える。
彼らの故国モルファンはイラストリアよりも北にあり、気候も冷涼と寒冷の間にある。
そのせいもあって故国では、牧畜や酪農が農業と同等以上の比重を占めており、故に農事祭祀の重要性は相対的に低くなっている。なので「夏祭り」というのも単なる年中行事の一つとしか認識していなかったのだが……
「……この国へ来て考えを改めました。夏祭りとは〝夏の魔神の怒りを鎮めるための供犠〟であると言われても、今なら納得できそうな気がします」
……なんて事をミランダまでが言い出すくらいだから、カルチャーショックの大きさが知れよう。
で――抑そんな彼女たちが、他でもない〝イラストリアの夏祭り〟に関心を抱いたのは何故なのか。
「……この暑さの中、炎天下の行列に並ぶ必要があるというのも……」
「しかも、その行列たるや……」
「五月祭のアレに優るとも劣らぬとか……」
「それについては、さすがにツィオルコフ卿が人員を手配すると言ってくれたんだけど……」
「……ご自分で並ばれるおつもりですね?」
「えぇ。だって、あの『エッジアン・クロス』に『エッジアン・アクセサリー』の現物、それも新作が見られるのよ? 他人任せにするのって業腹じゃない?」
「まぁ……それは……」
「解るような気がしますが……」
――もうお解りであろう。彼女たちの関心を引いて止まない「夏祭り」とは、他ならぬエルギンの夏祭り……正確に言えば、そこでのエッジ村の出店なのであった。
炎天下その行列に並ぶ事の苛酷さに慄く彼女たちであったが、行列と言って思い起こされるのは、五月祭におけるノンヒュームの出店の行列である。如何なエッジアン・アイテムの行列だとて、あのノンヒュームのそれを凌駕する程だとは思えない。
「……ですけど、五月祭は五日間に亘って開催されましたが、夏祭りは一日だけだと聞きました。単純に考えても、倍率は五倍になるのでは?」
「そこはツィオルコフ卿が頑張ってくれたわ。温度調節の魔道具を人数分。最初のうちはわたしたちに代わって他の者が並んでくれるそうだし、何とかなるんじゃないかしら」
「まぁ……」
「そういう事でしたら……」
事情の一端は判ったような気もするが、抑どうして彼女たちがエッジアン・アイテムの行列に並ぶという話になったのか?
その発端は今年の四月にまで遡る。




