第二百九十二章 幻のダンジョン、ダンジョンの幻 5.王都イラストリア(その2)
国王の――建設的な――提言に、それまでガンを飛ばし合っていた将軍と宰相も振り返り、黙したまま重々しく頷いた。そう――この問題の厄介な点はそこにある。
何しろ相手はテオドラム。こちらに難癖を付ける機会を虎視眈々と狙っている――註.イラストリア視点――相手だ。ここで下手なアクションなど起こせば、それを口実に暴発しかねない。
「……やはり、密かに斥候を派遣して様子を見させる……これが精々のところでございましょう」
「老い耄……年寄りの意見に同意するってなぁ内心忸怩たるものがありますがね、この場合は仕方ねぇかと」
「年寄りとは何じゃ」
「儂より十も年喰ってりゃ充分に年寄りでしょうよ」
「十と言うても……」
「――いえ!」
再び不毛な口喧嘩が再燃しようとしたところで、イラストリアきっての剃刀――または問題発言児――であるウォーレン卿が強く言葉を遮り……争っていた将軍と宰相、それに国王が、ギョッとしたように振り返る。今度は何を言い出すのか。
「……ここはいっそテオドラムに先んじて堂々と調査に入り、ダンジョンの有無やモンスターの在不在を明らかにするべきかと」
自分たちのとは真反対の提案をしてのけたウォーレン卿に、一同虚を衝かれたように黙り込んだが、少し考えてその目論見に気付いたらしい。
「……テオドラムが難癖を付けてくる前に、こっちで白黒付けちまおうってか?」
「ふむ……ウォーレン卿はテオドラムが動かぬと見ておるのか?」
「テオドラムの謀略の肝は、〝モンスターによる襲撃〟を証言する目撃者の存在にあります。それ無くしては、単にテオドラムが言い掛かりを付けていると見られるだけ。逆に言えば……」
「……〝善意の目撃者〟の用意ができてねぇ今なら、テオドラムも難癖を付けようが無ぇ……ってか?」
――成る程。その公算は大いにある上に、こちらが調査に入る名目も充分にある。何しろ場所は三国の国境が交わる辺り。国際関係の不安定化を避けるためというなら、テオドラムも言い掛かりは付けられまい。
共同調査の申し入れぐらいはするかもしれぬが、その時はマーカスも巻き込んでしまえばいい。
「とは言え、いきなり軍を動かすというのもアレですから、ここは冒険者ギルドに調査を依頼するのはどうかと。国民の不安を払拭する事にもなるでしょうし」
「悪かぁねぇ……と言いてぇところだが、肝心の冒険者がこの依頼を受けるかよ?」
何しろ場所はサウランドの南。三国の国境が交わってややこしいというので、冒険者たちが立ち入りを避けてきたところだ。畢竟、森の様子など碌に調べられてはいない。冒険者たちも二の足を踏むだろう。況してそこに、テオドラムの中隊を壊滅させた「未知のダンジョン」があるなどと噂されては……
件の「幻のダンジョン仮説」を流布させた張本人であるウォーレン卿を、他の三人はジト目で睨むが……それくらいで動じるようなウォーレン卿ではない。〝蛙の面に小便〟〝馬の耳に東風〟という様子で聞き流すと、
「問題の国境林に接する街道筋では、これまでにモンスターによる襲撃は確認されていません。安全性を訴える傍証には成り得るかと」
「……その件については、どこぞの誰やらが別の説明をしておったように思うがの?」
嘗てウォーレン卿が「幻のダンジョン仮説」を提案した時には、〝森の中にそれなりの獲物がいる事で、人里に降りて来る必要が無かった〟という解釈をでっち上げ、テオドラムの中隊が被害に遭ったのは〝不用意にモンスターの縄張りに入ったため〟だと主張した。これはそれなりに説得力のある仮説であったため、件の「サウランド・ダンジョン」の実在を示唆する根拠となっている。
その説明を、恰も掌をクルリと反転させるが如くに撤回・棄却しようというのだから、ウォーレン卿の強心臓っぷりも大概である。一同がジト目を向けるのも、無理からぬ事であった。
なのに、仮説の提唱者たる当のウォーレン卿が……
「仮説というものは、状況が変われば適宜修正されて然るべきものです。新たな事実が浮かび上がって来た事を勘案すれば、新たな仮説が提案されるのは当然でしょう」
……なんて事をしれっと言い放つのであるから、他の三名が鼻白むのも無理はない。
「……おぃウォーレン、その〝新たな事実〟ってなぁ何だ?」
「リーロットで作業中の『緑の標』修道会です。彼らは国境林の荒廃部分を緑化するために、少し前に当該の地域に立ち入っています。その彼らが、何の被害も受けずに作業を完遂したという事は……」
「「「あ…………」」」
「彼らがサウランドの近くにまで足を延ばしたかどうかは存じませんが、少なくとも冒険者たちを丸め込……説得する一助にはなろうかと」
「「「…………」」」
「まずは彼らに会って話を訊く、そこから手を着けた方が良いでしょう」
「……リーロットでのたくってやがる凸凹どもにゃ、お誂え向きの仕事だな」




