第二百九十一章 バンクス 2.迎賓館~雪室奇談~
「ただ今戻りました」
そう言ってアナスタシア王女に帰還の挨拶を述べたゾラを、王女は待ちかねた体で迎える。
「お帰りなさいゾラ。それで、何か面白い話は訊き込めたかしら?」
キラキラと目を輝かせて訊ねてくる様子は、年相応の子供のそれである。王家の教育が良かったのか悪かったのか、妙に大人びたところを見せる事もあるが、基本はやっと十に成るや成らずの子供なのだ。
「砂糖の普及状況に関しては、これまでの知見を裏書きする結果が得られました」
既に地元の有力者たちから、折に触れて訊き取ってきた普及の情報。その実例を重ねるに留まったらしい。しかし――
「……〝関しては〟という辺り、別件の情報があるという事?」
「はい。バンクスの氷室について、少し面白い話を訊き込んできました」
「氷室について……?」
はて、バンクスの氷室についての面白い話……とはどういう事だ?
抑イラストリアの氷室システムとは、冬の間に山間の氷室に雪を貯め、それが程良く固まった頃に王都に建てられた巨大な氷室に運び込み、夏の需要を満たすというもの。王都と山間部に複数の氷室を確保し、なおかつ円滑な輸送ルートを策定し、更には生鮮食品の賞味期限・消費期限の延長に伴う法制的なあれこれの整備まで必要となる一大事業である。畢竟、その推進には王国の強いリーダーシップが不可欠となる。
ここバンクスの氷室も、当然そういった話の延長にあるものと思っていたのだが……?
「それがどうも違うらしいのです。王国の主導で計画的に造られたものではなく、何と言いますか……偶々できてしまったものを、試しに運用したと言うか……」
「偶々?」
「試しに?」
氷室システムというのは、先に述べたような大規模な工事が必要な筈。それが偶々できてしまった? ゾラは何を訊き込んできたのだ?
……何しろ、アナスタシア王女たちの母国は北国モルファン。雪は一刻も早く融かすべきもので、後生大事に夏まで貯め込んでおくようなものではない――というのが、モルファン国民の基本的な認識である。ゆえに、「氷室」というのがどういうものなのかもイメージが今一つ掴めておらず、無意識にイラストリアの氷室運用を基準として考えていた。
――言うまでもなく間違いである。
イラストリアが斯くも大袈裟な氷室システムをいきなり立ち上げたのは、ノンヒュームによって発掘されたコールドドリンクの需要が大きかった……大き過ぎたからに他ならない。ゆえに、イラストリア以外の他国――例えばテオドラムやマーカスなど――の場合は、もっと慎ましやかなものになったであろうが……モルファンがそんな事を知ろう筈も無い。
だから……バンクスの「氷室」の実態などは完全に想像の埒外にあり、
「雪掻きした後の雪を試しに廃坑に投げ込んでみただけ……ねぇ」
「王国の主導ではなかったのですね」
「思い付きでやってみたら、偶々それが上手くいっただけ、だとは……」
ゾラの報告を聞いて驚き呆れるしか無かったのである。
「商人というのは逞しいものね」
「全くです。自分など、この暑さをどう訓練に活かすべきか――とか、そういった事ばかり考えておりました」
「……それはそれで重要な着想だと思うわよ、うん」
「……ともあれそういった、半ば偶然の産物めいた代物なので、保冷の効果も完全ではなく、今のままでは雪を夏まで保たせるのは無理なようです。そこをどうにかできないか……というような事が話題に上っていました」
「そうなのね……」
何やら拍子抜けした体の一同であったが、その中にあって王女だけは、何か考え込んでいるようであった。どうも〝王国が主導しての整備ではない〟事が気になっているようだが、何をそこまで気にしているのか。まさか……夏に冷やしたビールを飲みたかったとか?
「何考えてるのよ、違うわよ」
あらぬ誤解を受けた王女はお冠のご様子だが、だったら何を気にしていたのか。
「バンクスの氷室が計画的なものでないとしたら、イラストリアは氷室の普及に本腰を入れていない……少なくとも喫緊の課題とは見做していない。そういう事になるでしょう?」
「……それが何か?」
「あ……ひょっとして、兵站網の構築ですか?」
王女の懸念を言い当てたのは、〝他はともかく軍事に関しては才媛〟と定評のあるリッカであった。
「えぇ。イラストリアが兵站網の整備を急いでいるというなら、その意図がどこにあるにせよ、無視する訳にはいかないじゃない? けど、どうやら取り越し苦労だったみたいね」
「と言いますか、今はまだ問題点と課題の洗い出しに懸命――という状況のようですよ」




