第二百八十六章 五月祭(二日目) 2.バンクス~ジャンス分隊長の受難~(その2)
王女一行の護衛としては、イラストリア側から担当する人員が派遣されている。彼らは飽くまで王女の護衛であるから、王女の側を離れて買い出しに行くよう命じる事はできないし、仮に命じられても拒否するだろう。
となると、買い出し人員は王女の随員から選ぶしかないが、ミランダは妙齢の女性だし、ゾラとリッカは――それなり以上に護身には長けているとは言え――見かけは十に成るや成らずの少女でしかない。一人で行列に並ばせるのは躊躇われる。いやまぁ、見れば単身列に並んでいる子供もいるのであるが、仮にも大国モルファンの王女のお付きが、一人で列に並ぶというのも外聞が悪い。
ならば二人で並ばせるかと言うと……複数の、それも長い行列がある事を考えると、手分けして買い込めない状況では、コンプリートには時間が掛かってしまうだろう。ならばカールシン卿と従者のニコフと組ませて手分けして――となると、今度は王女の傍に控えるのがミランダ一人になる。これまた体裁が宜しくない上に、王女の護衛をイラストリア側に一任する事になる。信頼がどうこう以前に、王族としてはあまりに不用心である。
せめてもう少し男手がいれば――と内心で歯軋りしていたところへ、〝飛んで火に入る夏の虫〟よろしく、この場にノコノコと現れたのがボリスたち三人であった……というのがここまでの経緯なのであった。
――慈悲深き神が与え給うたこの生贄、ここで逃してなるものか。
(それに……カールシン卿から話を聞いて、一度は会ってみたいと思ってたのよね、噂の「トラブルの申し子」。顔馴染みという事で護衛に頼むという案もあったのだけど、起こり得る事態に責任が持てないとの理由で却下されちゃったし……)
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「はぁ……それはまぁ、殿下のお役に立てるとあらば否やはありませんが」
小隊長の立場としてはそう答える他無かったであろうが、脇で聞いているジャンスは、呪いの言葉が溢れそうになるのを苦労して抑えていた。何で休暇中の自分たちが、選りに選って他国の王女の護衛役などを、しかも正式な命令系統を通してもいないのに、引き受けなくてはならないのか。
いや、正確に言えば王女の護衛ではなく、買い出し担当の護衛になるのだろう。リッカとゾラ、それにニコフ――カールシン卿の従者――が買い出しに行く、その付き添いを頼まれたのである。まぁ、ついでに買い出しそのものも頼まれたのであるが。
それにまた、軍人だけでなく貴族の末席に籍を置くボリスの立場としては、否と答える選択肢が無い事も理解はできる。ただ――納得ができないだけである。
そんなジャンスの内心の憤懣を察したのか、アナスタシア王女が口を開く。
「折角の休暇を邪魔してご免なさいね。でも、『休暇』なのはわたしたちも同じなの。この国の年長者として、右も左も判らない隣国の小娘を案内する……そんな厚意を期待しては駄目かしら?」
つまり――この場は非公式なものとして、多少礼を失する振る舞いがあったとしても大目に見るという事であろう。〝王族と平民としてではなく、年長者と子供〟として接してくれと――暗に――言われては、ジャンスとしても目の前の「小娘」を見直さざるを得ない。
況して――
「今日のお骨折りの分は、どこかで埋め合わせてもらえるよう、然るべき筋にお願いしておくわ」
――とまで言われてしまえば、これは引き受けざるを得ない。こうまで譲歩されてなお駄々を捏ねるというのは、イラストリアの国民として、否、一人の大人として、あまりにも狭量に過ぎるであろう。下手をすると鼎の軽重を問われかねない事案である。
今度こそ肚の底から納得したジャンスたちは、温和しく買い出しの列に並んだのだが……ジャンスはもう少し自分の上官の「体質」というものを気にするべきであった。
隊で密かに「トラブルの申し子」と呼ばれている、ボリス・カーロックの特異体質を。
「………………」
「………………」
「あの……小隊長殿……」
「あ、うん。冷やしゼンザイっていうのを買いに行ったら、ばったり目が合っちゃって」
複雑な表情を浮かべるボリスとゾラの傍らで、そのボリスに手を引かれてニコニコと笑っている少女。
ロイル家の「迷姫」こと、リスベットの姿がそこにあった。




