第二百八十五章 五月祭(初日) 5.シアカスター(その2)
――とまぁ、斯様に用心を重ねていたお蔭で、モルファン勢は熱中症に見舞われる事は無かったのだが……皮肉な事にイラストリアの民の方が、熱中症の危険を甘く見たのか……
「あ……」
「おぃっ! ちょっとっ!」
「暑気中りだ!」
「あぁ、この陽気だかんなぁ」
「どっか日蔭に……」
「どこにあんだよ、そんなもん!」
カルコたちの少し前で、誰かが熱中症で倒れたようだ。はてさてどうするか、持参した水筒の中身を提供できればいいのだが、生憎と既に飲み尽くしており、雀の涙程も入っていない。下手をすると自分たちも二の舞である。
はてさて、これはどうしたものか――と困惑していたところに、
「暑気中りの人はどこですか!?」
戸口から駆け出して来た「コンフィズリー アンバー」の店員が、手に持ったコップの中身を倒れた客に飲ませると、やがて人心地を取り戻したようだ。
「他に気分の悪くなった方はいませんか?」
店員の少女が行列を見渡してそう訊ねると、怖ず怖ずと数名が手を挙げた。
恐縮しきった様子の彼らに、店員の少女は水筒の水を飲ませていく。飲んだ者が皆申し合わせたように驚いたように目を瞠ったところを見ると、ただの水ではないのだろうか。
「水に少しの塩と砂糖を加えています。この方が水分の吸収が良くなるので」
カルコたちの疑問は、当の店員によってあっさりと氷解した。が……新たな疑問が生じる事になる。
自分たちは寡聞にして耳にした事が無かったが、それはイラストリアでは知られた知識なのか? 口にした者が一様に驚いていたのを見ると、そしてまた店員が態々説明したところを見ると、そうでないのは明らかである。
だとしたら、それは店の秘伝のレシピではないのか? 軽々しく口にしていいものなのか?
「いえ、当店のお客様にご迷惑をおかけするなど、店の矜恃にも悖ります。汚名を被る事に較べれば、これくらいは当然の義務かと」
――斯くして、ノンヒュームの菓子店「コンフィズリー アンバー」の令名は大いに上がったのだが……実はこれ、クロウの指示であったりする。
出店に並ぶ行列が年々歳々伸びているのを知ったクロウが、このところの陽気と考え合わせて、熱中症の患者が出る事を危惧した訳だ。
高校時代に友人に頼まれて、とある販売会の行列に並んだ事のあるクロウは、そこで熱中症による生命の危険を身に滲みて感じる羽目になった。その時の体験に鑑みて、患者が出た時の迅速な対応を指示していたのである。事は下手をするとノンヒューム全体の評判にも関わるとあって、ノンヒュームたちも真剣に備えていた訳である。
そして……
「自分たちも相応の用意はしてきたつもりでしたが……」
「店を挙げて暑気中りの対策を講じていたとは……」
「ノンヒュームというのは侮れないですね……」
――カルコをはじめとするモルファン勢にも、大いなる感銘を与えていた。
社交・外交という点においては、ノンヒュームの側にまず一点が入ったというところか。




