第二百八十二章 歓迎パーティの夜 4.パーティ会場~古酒と器~
歓談――と言うには内容の濃いものであったが――も一通り終わったところで、酒と料理の支度が調ったらしく、次の間への扉が開かれた。
銘々がテーブルの上に置かれたグラスを手に取り、乾杯の合図に従ってそれを飲み干……そうとしたところで、全員の顔が驚愕に染まる。無論、アナスタシア王女とても例外ではない。仮にも一国の王女が他国のパーティに出席し、乾杯の音頭に従わないなどという不作法が出来ようか。何、ワインぐらい国でも普通に飲んでいた……のだが、どっこい、この時出されたそれは、〝普通の〟酒とは一味も二味も違っていた。
「これって……古酒なの?」
「……自分も口にした事が無いので、確とは判りかねますが……周りの表情を見る限り、そうではないかと……」
――と、使節団長のツィオルコフ卿が告白したところで、一同の視線はカールシン卿に向かう。特使歓迎のパーティの折に、辛口の酒と古酒とで持て成されたと言ってなかったか?
「……自分が飲んだのとは銘柄が違うようですが……この芳醇な味わいは、『古酒』とみて間違い無いでしょう」
――と、カールシン卿が太鼓判を押した事もあって、使節団の面々も開いた口が塞がらないという表情である。ちなみに、太鼓判を押した当人のカールシン卿もそれは同じだ。パーティの参加者全員に、斯くもしれっと振る舞うなどと……。苟も名代の「古酒」なのだ。こんなに簡単に、それも何の予告も説明も無しで、無造作に出していいものではないだろう。
……というのが一般的な見解なのであるが、イラストリアの王家にしてみればそうではない。
抑の発端からして、〝古酒を消費するそのためだけに〟パーティを企画しようとしていたくらいなのだ。王女の留学云々は恰好の口実に使われただけだ。
――が、そんな王家の裏事情を知らない身にとってみれば、これはイラストリア王家の度量を示す以外の何ものでもなかったのである。
そして……一部を除く大半の出席者は、案の定古酒を口にした事が無かったと見えて、互いに集まっては囁き声で意見を交換している。
「……あそこへ行って会話に加わるか、耳を澄ませるだけでも、色々と面白い事が聞けそうよね」
「なりませんぞ殿下。我らとてお傍を離れる訳には参りません」
――そう。歓迎パーティの「主賓」は確かにアナスタシア王女であり、そのご機嫌を伺いに来るのは貴族としておかしくない。
ただし隣国の王族とは言っても、何しろ十に成るか成らぬかの子供である。会話の罠に取り込まれて、余計な言質を与えるような事になっては一大事……という事で、使節団の面々は王女の傍を離れないように厳命されていた。
……まぁ、その裏側で王女本人は、〝何か言質を取られても、『そんな事言われても、あたし子供だからわっかんな~い♪』と言って惚けるように〟……などという、大概なレクチャーを国王直々に受けていたりする。
まぁ。イラストリアの貴族たちもそれくらいの事は先刻承知の上で、ただ顔を繋ぐために挨拶にやって来るのであるが。
ともあれ――この国の貴族たちに混じって古酒の話題で盛り上がれないという事情から、王女の関心はテーブルの方に――より正確に言えば料理の方に――向いた。
そしてその流れで、テーブルの上に素知らぬ気に置かれているものに気付いた。
……そう、美味しそうな料理を載せた食器と、どうやら紙で作ったと覚しき、何かの鳥を象ったような卓上飾りに。
(……カールシン卿の話にもあったけど、あれが噂の「サルベージ食器」みたいね。カールシン卿は透明なグラスでワインを供されたと言ってたけど……さすがにワイングラスを人数分用意するのは無理だったみたいね。けど……)
〝透き通るほど透明なグラス〟を見る事が叶わなかったのは残念だが、然り気無く置かれているこれらの食器も、どうして端倪すべからざる逸品であった。
仮にもモルファン王家の一員なのだから、アナスタシア王女もそれなりに目は肥えている。その目で見ても、ここに実用品として供されている〝食器〟は、疎かに扱っていいものではない。下手に割るような不始末でもしたら、「クビ」が飛んでもおかしくないだろう。
例えばあのスープ入れ、宰相が後生大事に仕舞い込んでいる、〝今は絶えてしまった名窯〟の作品とそっくりではないか? 今は美味しそうなスープを満々と湛え、器本来の役目を全うして満足気に見えるのは気のせいだろうか。
「噂の『ボラ』は無いようですな。楽しみにしておったのですが」
王女が食器に目を奪われている間に、ツィオルコフ卿の方は一通りの料理を試してみたらしい。……そう言えばこの団長殿、甘辛両刀遣いのグルメだという噂があったっけ。




