第二百八十章 シアカスター 8.ラスコー(その2)
(まさか……モルファンの王女殿下の公邸が、王都じゃなくてシアカスターに置かれるとはなぁ……)
頭を振り振り長嘆息しているのは、イスラファンの地獄耳と称される腕利き商人のラスコーであった。
噂に聞くノンヒュームの菓子店とやらを見物し、ついでに土産物の一つ二つも仕入れておこうぐらいの気持ちで訪れたシアカスターの町で、早々に思いも寄らぬ話を耳にしたのであった。
それとなく聴き耳を立てながら町の中を歩き廻って噂話を聞き込んでみたところ、どうやら王女殿下の公邸の件が口の端に上るようになったのは、ここ数日の事らしい。言い換えると、新鮮ホヤホヤのビッグニュースという事だ。
情報の、取り分けニュースの価値というものは、何を措いてもその鮮度に拠るところが大きい。すなわち、この情報の価値を最大限に活かすには、一刻も早くこれを伝える必要がある。
しかし生憎な――もしくは皮肉な――事に、目下ラスコーはこの国を離れられない状況にある。この情報に喰らい付きそうな沿岸国の商人の許へ、情報を携えて駆け付ける事は叶わない。それが可能になる頃には、この話は既に周知のものとなっているだろう。
(……次善の策を採るしか無いか。アムルファンとイスラファンの商業ギルドにネタを卸せば、少なくとも無駄にはならんだろう)
情報を扱う者の嗜みとして、ラスコーは魔導通信機を離した事は無い。これを使ってギルドに情報を伝える事は可能なのである。何の役に立つのかは――少なくとも、今この時点では――判らないが、その辺りはギルドの方で考える事だ。ラスコーとしては、入手したての重要情報を急ぎ伝えたという実績があればいい。仮にイラストリアの商業ギルドからこの情報が伝えられていたとしても、自分が情報を知らせて寄越したという事実が消える訳ではない。有能であるとのアピールだけでも益になるのだ。
(宿に戻り次第、通信機で連絡を入れる必要があるな)
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耳寄りなネタを小耳に挟んだラスコーが次に訪れたのは、ここシアカスターに置かれたノンヒュームの菓子店「コンフィズリー アンバー」であった。そこでラスコーは、思いもよらない商品に出会う事となる。
「メロン丸ごとの砂糖漬け!?」
「えぇ。元々はネタ商品として用意していたものなのですが……物珍しさからか、買っていかれるお客様が多いもので」
今は切らさないようにしています――という店員の台詞に、さしものラスコーも唸るばかり。成る程、世界というのは広いものだ。若い頃から諸国を巡って、大抵の珍味は口にしてきたつもりだったが……よもやまさか「メロン丸ごとの砂糖漬け」などという代物が実在していようとは。しかも、店員の口ぶりからすると、それなりに知られたもののようではないか。
慚愧の思いはひとまず措いて、とりあえずその「メロン丸ごとの砂糖漬け」なる珍品を購入しておく事にする。できれば二つ三つと確保しておきたいところであったが、
「申し訳ございません。この商品はお一人様一つとさせて戴いておりますので」
「むぅ……それでは、他に土産物に向いた品はあるだろうか?」
ラスコーの希望と配布先の状況を聞いた店員が、暫しの熟慮の末に勧めたのは、スミレの花の砂糖漬けであった。理由は珍しいという事の他に、
「成る程……大箱入りを購入して、自分で小分けして贈るのか」
「はい。こう申し上げては何でございますが、その方が経済的ではないかと」
「経済的……うん、実に良い言葉だ。そうさせてもらおう」
良い買い物をして満足げに店を出たラスコーであったが、少し歩いたところにベンチがあるのを見つけ、やれやれどっこいしょ――と、腰を下ろして休んでいたところ……聞き捨てならぬ会話を耳にする事になった。
「……じゃあ何かい。新しい甘味とやらは、『アンバー』じゃ売らないってのかい?」
「何でもねぇ、うちの宿六が訊き込んだところじゃ、量を作るのが難しいらしいんだよ。で、現物は国の方に卸すだけにして、いつ、どこに、どれだけ、売るのかは、お上の胸三寸に任せるって事みたいだよ。まぁ尤も」
――と、その耳寄りネタを口にしたご婦人は、ここで一拍置くと更に声をひそめる。そしてラスコーも、小声で話されるその会話を、片言隻句たりとも聞き逃すまいと耳に力を籠めた。その甲斐あって、
(「……お祭りとかで一時的に、限られた数を販売する可能性はあるみたいだけどね」)
(「まぁ、それが救いっちゃ救いなのかねぇ……」)
(「今のところ、試食したのは国のお偉いさんが数人だけらしいんだけどね。今までに味わった事の無い珍味だって話だよ」)
(「へぇ……どんなもんなのかは判んないのかぃ?」)
(「それがねぇ……甘くて香ばしいって事ぐらいで……」)
(「甘くて香ばしい……ちょいと想像が付かないねぇ」)
――という話を聴き取る事ができていた。
(甘くて香ばしい、ノンヒュームの新作珍味だと……?)
もしもこれが事実なら、正真正銘、掛け値無しの特ダネである。しかも――少なくとも当座のうちは――一般販売しないという。それが吉報なのか凶報なのかは判らないが、重要な事実なのは疑い無い。
問題は、この内緒話の信憑性である。詳細・確実・新鮮な情報の提供を売りにしてきたラスコーとしては、幾ら特ダネっぽかろうが、怪しい情報を扱うのは彼の矜恃が許さない。
それは大いに結構なのだが……問題は、この情報の信憑性を確認できるか、或いはその猶予があるかという点に尽きる。
情報屋ラスコーの常道としては、まず狙いを付けた地域でひっそりゆっくりと知己を増やしてから、情報網の構築に取りかかる。然る後にその情報網に引っ掛かったネタを精査して、有用な情報に纏め上げる――という手順を踏む。
ところが……今回のこのネタは、情報網どころか知己を作る前の段階で、思いがけなく飛び込んで来たもの。真偽を確かめんと嗅ぎ廻れば、当然ながら胡散臭い輩であると見做されよう。それでは今後の情報網構築に際して、支障を来す事は確実である。
いや、それ以前に五月祭の日程に鑑みれば、そんな詮索をしている暇など無いのは明らかである。
(……残念だがこのネタは、真贋定かでない不確実な情報として扱うしか無いな)




