第二百七十八章 リーロット発諸方面行き迷走便 12.モルヴァニア~国境監視砦~(その1)
「西街道の緑化……ですか?」
「あぁ。去年の暮れにシュレクの村から、塩の取引の話が持ちかけられたろう?」
「良き塩でしたな。品質の良さに目を剥いた憶えがあります」
国境を挟んでシュレクの「怨毒の廃坑」と対峙する位置に築かれたモルヴァニアの国境監視砦。表向きは「廃坑」のスタンピードを監視するために築かれたとなっているが、その実はテオドラムの動きを監視し牽制するのが目的という事は、当のテオドラムにも解っている。
その監視砦の一室で、何やら額を寄せて密談しているのは、この砦の責任者を仰せつかったカービッド将軍と、元々はシュレクの砒素汚染を調べるために派遣されて以来、なぜかそのまま済し崩しに居座り続けている調査部トップのハビール教授であった。
そんな二人のいる砦に、シュレクの近郊に住まう村人から、岩塩と生活必需品の物々交換という怪しくも耳寄りな話が持ち込まれたのが昨年の暮れ。
元は鉄鉱山であった筈の「廃坑」から、なぜまた岩塩――それも精製済みの高品質品――が得られたのかと、打ち揃って頭を捻ったのも記憶に新しい。殊に化学を専門とするハビール教授は、硫砒鉄の鉱山から岩塩が採れるという事に納得できないらしく、あぁでもないこぅでもないと鬼気迫る表情で呟いていたものだった……新兵が怯えて調査部に近寄らなくなる程に。
まぁ、そんな現場の苦労と焦燥はともかくも、モルヴァニアの上層部は取引の申し出を受ける事にしたようだ。
何しろ内陸国のモルヴァニアにとって、塩は貴重な戦略物資。取るに足らない量とは言え、入手のルートは確保しておきたい。それが他所では見る事のできない程に、高品質の精製塩というなら猶更の事。恐らくはダンジョンが関わっているのだろうが、塩に変わりはないではないか。況して……
「シュレクの村に対するテオドラムの影響度を、下げる事に通じるというのだからな。本国――カービッド将軍にとって、国境沿いはモルヴァニア国内ではないとの認識らしい――の連中も大乗り気のようだ」
その件についてはハビール教授も理解も得心もできる。今一つ解らないのは、
「それがどうして、西街道の緑化などという話に?」
「それなんだが……どうも、村の連中と取引させる行商人の身分が問題になったらしい。我が国が大っぴらにしゃしゃり出る訳には――まだ今のところは――いかんからな」
「他国の行商人が勝手にやった――という事にする訳ですな? ……成る程、その〝他国の行商人〟がここへやって来る理由付けのためですか」
さすがに明敏を謳われたハビール教授である。将軍の簡単な説明から、モルヴァニア上層部の思案を見事に見抜いてのけた……ここまでは。
「しかし……それが何で我々『調査部』に、正式な依頼として持ち込まれるので?」
――そう。ハビール教授をはじめとする「調査部」の面々が首を捻っているのは、その「緑化」に協力すべしという辞令が正式に交付された事にあった。
済し崩しに砦に滞在しているが、本来自分たちは砒素汚染の状況を調査にやって来たのだ。街道緑化など専門外なのだが?
「それなんだが……緑化への協力を依頼した修道会が、多忙で手が離せん状況らしくてな」
「……〝修道会〟?」
想定外のワードが立て続けに飛び出てくる状況に、さしものハビール教授も目をパチクリとさせるばかり。そんな教授にカービッド将軍は、ややこしい裏事情のあれこれを、噛んで含めるように説明していく。
「何しろ、快適性の向上を目的とした街道緑化、しかもその奥には魔力循環の回復などと言う大目的を秘めた事業……などと言われると、仮令モルヴァニア国内を総浚えしたところで、おいそれと適任者が見つかるとは思えん。然りとて人材の養成などと言い出した日には、いつの事になるやら見当も付かん」
この意見にはハビール教授も頷かざるを得ない。分野は違うと言っても、そこは同じ研究者の世界。当該分野の専門家がいないだろう事くらい察しが付く。
そしてそうなると、お上の言う〝次善の策〟というのも見えてくる訳で……
「……どうせ専門家がいないのなら、現場にいる者で間に合わせよう――と?」
「言葉は飾ってあるが、本音はそういったところらしい」
見解の一致を見た二人は、自分たちが置かれた不本意な状況に、揃って溜息を吐くしか無かった。




