第二百七十七章 シェイカーvsヤルタ教~第一幕~ 9.ヤルタ教 ボッカ一世(その2)
机に積み上がっている書類の束を掻き回して、漸く目当ての報告書を引っ張り出す。そこに書かれている内容にざっと目を通していた教主は、そこに少しばかり気になる記述を見つけた。
(〝帝国主義者に抑圧されて苦しむ同胞の解放〟を謳う、〝世界征服を企む悪の秘密結社〟……所信表明が矛盾に満ちておる気がするが……問題はそこではないな)
愉快不可解な所信表明の事は一旦措いて、問題なのは彼ら「シェイカー」が襲撃の度に、
(〝無辜の民からの搾取によって肥え太った資産階級〟云々という非難の文言を並べ立てておる事よな……)
これまでは対岸の戯れ事と聞き流してもいられたが、自分たちヤルタ教にその非難の矛先が向いたとなると、少しばかり問題である。
何が問題なのかというと、「シェイカー」の活動が面白可笑しく、巷間に喧伝されている点にある。
彼ら「シェイカー」が、一般の通行人は決して襲わない事と相俟って、襲われた商人は〝無辜の民からの搾取によって肥え太った資産階級〟だと見做される風潮にあるのだ。そこに今回の襲撃を重ねると、
(これでは我がヤルタ教が、民からの搾取に走っておるように思われるではないか)
イメージ戦略を重視してきた教主としては大問題である。どうにかしてこの〝誤解〟を正さねば、教団に明るい未来は無いとすら思えてくる。
(何らかの手立てで民を慰撫して、繋ぎ止めておく必要がある。それについては他の者の意見も聞いてみるとして……)
教主は愛用の盃に、愛飲している銘柄を注いで考える。
(小癪にも教団に楯突いた賊には、相応の報いを与えてやらねばならぬ。善良なる信徒たちの心を安んずるためにもな)
喧嘩を売られて泣き寝入りするような弱腰な教団に、誰が心を寄せるものか。万一の時に自分たちを守ってくれると思えばこそ、信徒は教団を信頼し、信心を寄せてくれるのだ。無頼の賊徒に喧嘩を売られた以上、毅然とした態度で反撃を喰らわせ、そして――勝ってみせねばならぬ。
(いや、考えようによっては、新たな勇者の初舞台として、持って来いの好機やもしれぬ。バトラの使徒やダンジョンが相手でなくば、そうそう無様な真似は曝すまいて)
〝ヤルタ教の勇者〟の名誉回復の好機ではないか――などと考えていた教主は、これが先ほどの民心慰撫策と結び付けられそうな事に気が付いた。逆宣伝の手法である。
(ふむ……「シェイカー」なる盗人どもを悪と断じ、それをヤルタの神の御名の下に誅伐する……わがヤルタ教の威光を高める好機と言えような)
だとすると、これは万が一にも失敗しては……いや、手子摺る様を見せるだけでも拙い。圧倒的な力でねじ伏せてこそ、ヤルタ教への信頼も増すというものだ。
(……彼の賊どもについての情報が必要じゃな。ドジソンが戻って来ぬと詳しい事情が判らぬが……カラニガンの冒険者ギルドが何やら言うておったそうじゃし、あやつらの尻を叩いて協力させるか。我々が斯様な憂き目に遭っておるのも、元はと言えば冒険者ギルドが寄越した護衛が役立たなんだせいじゃしな)
教主は軽く盃を傾けると、更に思案を進めていく。
(冒険者ギルドとの折衝は……苦労をかけるがドジソンに任せるしかあるまい。多少なりともカラニガンの冒険者ギルドに伝手を持っておるのは、あやつの他におらぬしな)
考えが纏まったところで教主は人を呼び、シェイカーの討伐を下令する。
「愚かしくもヤルタの神に逆らった盗賊めを成敗する。畏れ多くもヤルタの神のご威光に牙剥く神敵に、然るべき報いを与えてやるのじゃ




