第二百七十三章 エルギン 9.エルギン領主館~モルファン王女一行~(その1)
一同深い満足のうちに晩餐を終え、用意された客室に引き取ったアナスタシア王女とその侍女ミランダであったが、エッジ村から贈られたエッジアン・クロスのチーフを広げたり眺めたりして楽しんでいた……だけでは飽きたらず、手持ちのドレスに合わせてみて、どれが似合う似合わない――などと意見を戦わせて楽しんでいたのだが、やがて王女がふと顔を曇らせて言うには、
「ねぇミランダ、折角貰ったエッジアン・クロスだけど、これって身に着けていいものなのかしら?」
友好の標として贈られたものを身に着けるのに、誰に憚る事があろうか。寧ろ身に着けない方が失礼である――というのは確かな正論であるが……今回は些か事情が微妙であった。
アナスタシア王女は留学生として、ノンヒュームの文化や習俗を学ぶためにこの国に来ている。それはそのとおりなのであるが、実のところは友好使節の意味合いが強い。と言うか、半分以上はそっちである。
王女もその事は自覚しているから、母国の非公式な友好使節である自分が、この時点で〝エルギン領の特産品〟を身に着ける事の意味を考えずにはいられなかった。
エルギンがイラストリア王家や他の貴族家に先んじてモルファンに友好の品を贈る事、そして、モルファンの王族たる自分がその贈り物をいち早く身に着ける事の意味を。
「……ノンヒュームから贈られた食材は消えもので、晩餐の席以外に漏れる事は気にしなくてもよさそうですが……エッジアン・クロスはそうはいきませんか」
「或る意味では、イラストリア王家をはじめとする方々の面子を潰した形になるんじゃないか、そうなった場合にホルベック卿への風当たりが強くなるんじゃないかって、そんな気がするのよね」
「それ以外に、今回お嬢様は(一応)モルファンを代表する立場になりますから……」
「うん。わたし個人の意向というよりも、モルファンがエルギンに肩入れしたような形になるのは拙そうじゃない?」
「確かに……」
事が国際関係にも関わってくる以上、王女と侍女の二人だけでは思案に余るとして、随行団長をはじめとする主要メンバーの意見も訊いてみる事になる。その結果……
「……かなりグレーゾーンになりますが、エルギン領内での着用に限ってみれば、一応問題は無いかと」
「エルギンを出た後は拙いって事ね?」
「かなりデリケートな問題になりますし、これに関してはイラストリア国王府の意向も確かめるべきだと愚考致します」
「そう……確かにそうだわね」
少なくともそれまでは仕舞い込んでおくべきだろう。何だったらそれ以降も、外での着用は遠慮した方が良いのでは――との意見も出たのだが、これにはミランダをはじめとする女性陣から待ったがかかる。
「折角の戴きものですし、寧ろこれを有効に活用する手を考えた方が建設的ではないかと」
「有効に……」
「活用……?」
面倒事の火種にしか思えないこれを、有効に活用する術があると言うのか?
「ホルベック卿も仰っていましたが、このエッジアン・クロスというのは、染めるのに殊の外時間がかかるのだとか」
……実際には、友禅染め以外の草木染めは、そこまで手間のかかるものではない。
と言うか、元々が寒村の女達の、手軽で慎ましやかなお洒落なのだからして、そこまで手間がかかるようでは本末転倒である。
しかし、友禅染めの製作難度が一人歩きしたのに加えて、エッジ村の側も敢えて誤解を正そうとはしなかった事もあって、エッジアン・クロスというのは何れも時間がかかるものだという誤解が広まりつつあった。
「ふむ。それで……?」




