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第二百七十三章 エルギン 7.エルギン領主館~王女殿下歓迎パーティ~(その3)

 エッジ村風(エッジアン)クロスの興奮冷めやらぬうちに、王女一行は晩餐の席へと(いざな)われる。衝撃と歓待が続いたせいで歓迎パーティも済んだような気がしていたが……どっこい、パーティはこれからが本番である。



(さすがはホルベック卿ね、イラストリア王国有数の要人と名高いのは伊達じゃないってところかしら)



 ……当のホルベック卿が聞いたら仰天しそうだが、世間一般の評価は概ねそんなものだったりする。領内にノンヒューム連絡協議会の事務所を、更にはエッジ村風(エッジアン)ファッションの発信地たるエッジ村を擁する領地貴族となれば、その重要性は如何(いか)ばかりか。少なくとも、イラストリア王国の流行や世情を左右する立場にあるのは間違い無い。知らぬは当人ばかりである。


 ともあれ、そんな評価を下されているとは夢にも思わないホルベック卿は、知らぬが仏の落ち着いた様子で、一行を晩餐の席に案内した。


 モルファン王家主催の正餐(せいさん)のように(ぜい)()らしたとは言い難いが、それでも充分に吟味された食材を(しっか)りとした技術で調理した、地方領主としては平均以上の夕食……などと考えていたのは甘かったらしい。前菜(オードブル)に続いて出されたシチューを一匙(ひとさじ)含んだところで、一行は今まで口にした事の無い豊かな風味に圧倒される事になった。



(……何なのこれ!? 肉の旨味とも魚介類の旨味とも違う……こんな食材があったなんて……)



 もの問いたげな王女の視線に応えるかのように、ホルベック卿は答を口にする。これはノンヒュームが献上してきた茸を使ったシチューである――と。



 王女一行の()(まど)いを説明するためにも、ここで少しばかりモルファンの国情について説明しておいた方が良いだろう。


 まず第一に、モルファンは遊牧民と航海民が協力して建国した国家である。

 そして第二に、これまでにも何度か触れてきたように、モルファンにはエルフや獣人・ドワーフといったノンヒュームが殆ど住んでいない。

 これらの事実がもたらす帰結として、モルファンにおいては山林を生活の場とする民が少なく……それゆえに林産物利用の文化が未熟であった。

 (ひっ)(きょう)、旨味の塊とも言える茸が一般的な食材として周知されておらず、その調理法なども知られていないという事になるのであった。



「まぁ、今時分に新鮮な茸を採るというのは難しいので、これは昨秋に採って乾燥させておいたものだそうですがの」

「そうなんですね……」



 食材としての茸の利用に無頓着だという母国の事情を顧みて、これは重要な情報ではないかと考えるアナスタシア王女。ホルベック卿の口ぶりからして、茸というのはイラストリアでは珍しくない食材のようだ。留学中になるだけ多くの知見を集めようと、幼いながらも密かに決意する辺り、彼女も立派に王家の一員であると言えよう。


 その後は魚料理、肉料理と滞り無くメニューが進み、肉料理の後にチーズが供されたところで、この席で二度目となるカルチャーショックが王女一行を襲う。



「これは……お国で作っているチーズですの?」



 当たり障りの無い会話の糸口……のつもりで発したその問いは、茸を上回る衝撃情報となって返って来た。



「いや、これもノンヒュームからの献上品ですな。何でも、木の実から作ったチーズだとか」

「「「「「え……?」」」」」



・・・・・・・・



 アナスタシア王女のみならず、モルファン側の出席者が打ち揃って驚愕した理由については、これもモルファンの国情から説明した方が良いだろう。


 少し前にノンヒュームの連絡協議会事務所で話題になったように、モルファンではあまりチーズの生産は盛んでない。

 それというのもこちらの世界で――少なくともこの辺りで――一般的なチーズの作り方と言えば、生まれて間も無い仔牛や仔山羊を(ほふ)り、その第四胃から取り出した凝乳酵素(レンネット)で乳を固めるというもの。過酷な気候の故に家畜の価値が高いモルファンでは、おいそれと受け容れがたい事情があった。ただし、モルファンは元々遊牧民と航海民によって建国された国。牧畜も酪農もそれなりに盛んであった。


 食材としてのミルクはあるのだから、これを利用しようと考えるのはおかしな事ではない。そのまま飲むか、生クリームやバターに加工するか。だが、できれば保存に適したものが欲しいところだ。

 長期間保存可能な乳製品と言えばチーズだが、モルファンでは既述したようにレンネットを存分に使える状況にはない。では、どうするか。

 モルファンの牧人が採択したのは、レンネットを用いずにミルクを凝固させる事であった。


 こう聞くと所謂(いわゆる)カッテージ・チーズの類を想像するかもしれないが、それとは少し違っていた。彼らは――地球世界のモンゴルで見られるような――酸加熱凝固タイプの〝チーズ〟を生み出したのである。


 食酢――およびその原料である酒――の確保に難がある遊牧民は、モルファンでもモンゴルでも同じ解決策に辿(たど)り着いていた――乳酸醗酵である。

 物凄く大雑把に言ってしまえば、生クリームやバターを取った残りの脱脂乳を乳酸醗酵させてヨーグルトを造り、それを加熱し乾燥させる事で、硬いチーズ――の、ようなもの――を造っていたのである。


 一般的な「チーズ」と違って熟成という過程を経ていないため、酸味が強く風味に乏しい。()(てい)に言ってしまえば、慣れない者にはあまり美味いと思えない代物である。

 なので、アナスタシア王女を始めとするモルファンの王侯貴族たちは、大陸内外の他国から輸入したものを食していた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 何回チーズの説明してるんですか?
[良い点] ちょうど今ノウルーズ、イスラム圏の中の一部の地域の新年でして、草原地帯のお正月料理をYouTubeで見たりしています。 クルトでしたっけ?並んでいましたね。 この小説では少しずつ遊牧民が…
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