第二百七十三章 エルギン 3.絵師クロウ
何やら登板希望の多いクロウの、まぁ生存報告みたいな回です。本章では時折顔を出しますが、本格的な活動は――この時点ではまだ季節的な理由から交通流通が活溌でない事もあって――もう少し先になります。ご了解下さい。
『絵描きさんってぇ、大変ですぅ』
『全く……何でこんな事までしなきゃならんのか』
『ボルトン親方の、依頼を受けたからじゃないんですか? マスター』
『あの時は勢いで頷かざるを得なかったんだが……今考えると軽率だったな』
ぼやくクロウが居座っているのは、エルギン手前の街道筋。正確には街道から少し離れた位置にある、高い木の上であった。
そんな突拍子も無い場所でこんな身も蓋も無い羽目に陥っているのも、元を辿ればボルトン工房からの依頼にあった。
〝王女殿下のお輿入れ……じゃなくて留学の行列ですか〟
〝おうよ。何たって他所の国のお姫様が、行列仕立ててお見えになるなんざ、そうそう何度もあるこっちゃ無ぇ。って事でクロウさん、こいつぁ是非とも受けてもらいてぇんだが〟
そんな会話が交わされたのが、日本時間の一月一日。こちらの暦では新年祭の三日前の事であった。
話の流れでボルトンからの依頼を受けざるを得なくなったのだが……当初思っていたよりもバンクス滞在が長引いたため、エッジ村に帰り着く前に、エルギンで王女の一行をスケッチする羽目になっているのであった。
では、何でまた木の上などに陣取っているのかと言うと、
『沿道の観衆が邪魔なんだから、仕方がないと言えばそうなんだが……』
野次馬が目白押しの中では、スケッチなど満足に出来る筈も無く、仮にどうにかミッションを熟したとしても、悪目立ちするのは避けられない。下手をすると王女殿下からのご下問、いやさ無礼打ちすらあるかもしれないではないか。そんな危険は冒せない。
『しかしまぁ、そのお蔭でこうしてデジカメなんかも使えるんだがな』
人目が無いのをこれ幸いと、クロウは樹上でデジカメまで駆使して、王女一行の撮影に勤しんでいた。デジカメを持ち出したのは別に酔狂からではなく、魔道具ではないため護衛連中にも察知されにくいだろうと考えての事である。
何しろここは「剣と魔法の世界」。魔道具の魔力を察知するような、そんな凄腕の魔法使いが随行しているかもしれないではないか。
『王女殿下を害さんとする曲者……なんて思われたら面倒だからな』
そんなこんなの理由から、クロウは己が所在を悟られないようにして、対象のスケッチと撮影に励んでいたのだが……一人だけではどうしても足りない部分が出て来るのは避けられない。例えば行列の右側に陣取っている限り、左側は見えない道理である。
しかし――クロウはこれでもダンジョンロード。切れる手札は他にもあった。
『それがシャノア嬢と』
『シャドウオウルにシルエットピクシーですか……』
闇精霊であるシャノアをはじめ、シャドウオウルもシルエットピクシーも、隠行に関しては一家言ある実力者である。たかが人間の眼を欺くぐらい何でもない。
そしてダンジョンロードたるクロウの能力を以てすれば、彼らの眼を借りて見た映像を保存しておくくらい造作も無い。
『まぁ、使えるものは使い倒しておかんとな』
・・・・・・・・
翌日、クロウは今度は連絡会議事務局の望楼に陣取っていた。
何で事務局に望楼などがあるのかと問われれば、事務局の建物が元は――先代男爵の時代に不始末を起こして没収されたヤルタ教の――教会であったからと答えるしか無い。教会故に鐘楼には吊り鐘も備わっていたのだが、さすがにそんなものは不要――と言うか、領外に退去させられた際に、ヤルタ教が持ち去った――なので、鐘楼改め望楼として――時折――活用されているのである。
クロウはその望楼に陣取って、
『今日は俯瞰図ですかぁ。マスターも結構マメですよねぇ』
『こらこらキーン、言うに事欠いて〝結構〟とは何だ。俺ほどマメなダンジョンマスターはいないぞ……多分』
ダンジョンマスターとして登場して以来、あれやこれやの活躍――「やらかし」とも言う――に励んできたのがクロウであるからして、その発言には重みがある。
況して今回は、人目が無いのをこれ幸いと、マンションから望遠レンズまで持ち出して資料写真――アナスタシア王女のアップ含む――の撮影に勤しんでいるのだ。これをマメと言わずして、誰をマメと評するのか。
『まぁ何にせよだ、絵師としてボルトン工房から依頼を受けた以上、きっちり成果を出さんといかん訳だ。どうせ他の工房でも同じような事はやってる筈だし、少しは差別化の事も考えんとな』
『ははぁ』
『そぅいぅものなんですかぁ』
『そういうものだ』
出来上がり次第、下絵は飛竜便でバンクスまで送るように頼まれている。一刻も早くというボルトンの心情は理解するが、クロウ個人としては大事な下絵をワイバーンなどに託すというのは気に喰わない。が、まさかクロウが転移や飛行で蜻蛉返りする訳にもいかず、内心では渋々とその案に同意したのであった。
そしてそういう事情であれば、のんびりとエッジ村に帰っている暇など無い。下絵ができるまでの間、クロウとしては不本意ながら、事務局の厄介になる羽目になった。
『その後はモローに寄って、双子のダンジョンの入口もスケッチする必要があるからな』
『あぁ……そんな話も出てましたっけ』
イラストリアをはじめとする各国を混乱に陥れている大元凶にしてダンジョンロードのクロウ、その日常は斯くも忙しいものなのであった。




