第二百七十章 関係各位各様~「北街道」顛末~ 9.ヤルタ教(その1)
ヤルタ教回です。二話構成になります。
このところ錯綜と混迷を極めている諸国の動向、それについての報告書を読んだヤルタ教教主ボッカ一世は……徐に立ち上がって酒杯に愛飲の銘柄を注ぐと、一口飲んで考え込んだ。いつもの事である。
(……ヴァザーリでの「工作」が可能かどうか、慎重に下調べをさせておった矢先にテオドラムが妙な事を言いだしたと聞いて、影響の如何を探らせておったのじゃが……何ともややこしい事態になっておるものよ……)
話の大元を辿るなら、ヤルタ教の暗部を率いるハラド助祭が、ダンジョンについて調べる必要性に気付いた事が発端と言えよう。
ダンジョンの情報を持っている者はと訊くなら、それは冒険者であり冒険者ギルドなのだが……生憎な事に、ヤルタ教が冒険者の中から勝手に任命した「勇者」――言い換えると有能な冒険者――が、揃いも揃って消息を絶っている事から、ヤルタ教と冒険者ギルドの間には唯でさえ隙間風が吹くようになっている。
そこへ持って来て、なぜか――註.ハラド助祭視点――ノンヒュームがヤルタ教を仇のように毛嫌いしている。このところ何かと評判の高いノンヒュームを敵に廻すような事は、冒険者ギルドもやりたがらないだろうし、それはつまりヤルタ教と関わるのを避ける事を意味するだろう。素直に情報を寄越すかどうか。
その一方で、ヤルタ教の今後を占うためにも、ダンジョンの情報は是非とも欲しい。となれば、話を受けてくれそうな冒険者ギルド――この際、曰く付きでも何でも構わない――を探すしか無い……という事で辿り着いたのが、嘗てノンヒュームと事を構えたばかりに、現在進行形で凋落の憂き目に遭っているヴァザーリであった。
ヴァザーリの冒険者ギルドから不自然でなく情報を――それもコンスタントに――得る方策を考えた助祭は、まずはヴァザーリ自体の延命と復興が先だと考え、酒を餌にした旅行客の足留めという考えに至る。それを上層部に献策したのが一月の半ば。
教主をはじめとしたヤルタ教上層部は、助祭の策に一考の余地有りとしてヴァザーリの現状を下調べさせていたところ、偶々ヴァザーリを訪れていたテオドラムの密偵にその姿を見られ、本国に報告を上げたのがその少し後。ちなみにこの時点でヤルタ教側は、テオドラムがヴァザーリに手を伸ばしている事実を既に掴んでいた。
そして――諸般の事情(笑)に振り回されたテオドラムが、関税の値上げを決めたのが二月の末、更に北街道の整備計画を公表したのが三月の頭。
何がどうしてどうなっているのかとんと解らぬヤルタ教が、一旦計画を中断して諸国の状況を探らせ、その報告が上がって来た……というのが現在の状況なのであった。
(……テオドラムが国の南と北で、相次いで騒ぎの種を蒔いた――というのがまず解せぬ。如何にも態とらしい振る舞いは陽動を思わせるが……何のための陽動なのか……)
南で騒ぎを起こせば本命は北、北での陽動なら狙いは南――というのは兵法の常道だろうが、国の南北で同時に陽動を起こすとなると……
(……いや、待て。陽動を起こすにも相手というものがある。此度の件で当惑させられておる者と言えば……商人――か?)
――確かに推論の結末としてはそうかもしれない。しかし、たかが商人相手に、こうも大掛かりな謀略を仕掛けるものか? 幾ら相手があのテオドラムだとしても……
(いや……テオドラムはこのところ、取引相手に悩んでおったな。毒麦の件で小麦が、鉱毒の件で塩が、ノンヒュームによってエールと砂糖が不振となっておった。更には、何やら面妖な贋金騒ぎによって、隣国アムルファンとの仲もおかしくなっておるとか……)
……成る程、それなら「商人」相手に何か仕掛ける可能性は無きにしも非ず。しかし――
(だとしても――何で斯様な騒ぎを起こす必要がある? 北街道の件はイラストリアと、そこに巣喰うノンヒュームに対する嫌がらせとしても……)
――何とも豪儀な〝嫌がらせ〟である。費用対効果無視も甚だしい。
(……関税の件はどうなる? アバンとやらはヴォルダヴァンの領内の筈。今や唯一の取引相手となったヴォルダヴァンを不快にさせて、テオドラムに何の利がある?)
――とすると、これはテオドラムが意図した……少なくとも望んだ動きではないのだろうか?
(……この件は一旦棚上げじゃな。解らぬ事に頭を痛めても詮無いだけじゃ)
そう判断したボッカ一世は、この件による周辺諸国の動き、別けてもヴァザーリの反応に思案を移す。




