第二百六十九章 マーカス 5.マーカス軍・災厄の岩窟駐屯地(その5)
ファイドル代将は、これがテオドラムによる離間の計……モルヴァニアとテオドラムの間に何かの密約があり、モルヴァニアに攻められる事は無いと確信したテオドラムが兵を引いた……という事まで考えてみたが、テオドラムがそう簡単にモルヴァニアを信じるとも考えにくい。これはモルヴァニアも同じである。
何よりモルヴァニアにとって、テオドラムとの密約など何の利益も無い筈だ。考え過ぎかと内心で却下していたりもするが、今ここでそんな妄説を開陳しても益が無いと、素知らぬ振りを決め込む事にする。
なので、当惑した表情の副官との遣り取りでは、
「そうすると……結論としてはどういう事になるのでしょうか?」
「テオドラムは、何か我々には窺い知れない理由によって、シュレクから兵を引き抜いた。もしくは、同じく何らかの理由によって兵力を調達する必要に駆られたが……『岩窟』からは――これもやはり何らかの理由によって――兵を引き抜くのをよしとできなかった。……今の時点では、これ以上踏み込んだ結論は出せんな」
――と言うに留まった。
副官としては、判っていない事ばかりではないかと突っ込みたくなるが……だからこそこの上官が頭を悩ませているのだろうと考え直す。
……実際のところはどうなのかと言うと――実はシュレクの監視砦は、将来の規模拡充を見込んで、居留施設の規模に比して兵員は多めに配置されていた。ところがアレコレの諸事情あって手許不如意となったテオドラム上層部は、砦の増強計画を凍結。兵員は窮屈な生活を強いられる羽目になる。この状況を改善するためにレンバッハ軍務卿は、一刻も早い砦の増築を訴えていたのだが、逆にジルカ軍需卿やファビク財務卿は、人員削減によって砦の居住環境を改善する事を選んだ……というのが事の真相であった。
だがしかし、そんな裏事情を知らない副官がものの弾みで思い出したのは、全く別の事であった。
「……そう言えば……我々が『岩窟』内で密かに金を採掘しているという、噴飯ものの妄説がありましたか」
「――何?」
昨年の夏も終わろうかという頃、テオドラムが商業ギルドに〝ダンジョン内で産出する金鉱石の品位〟について問い合わせた事があった。それについてここでは繰り返さないが……問い合わせを受けた商業ギルドがおかしな曲解をしたために、〝マーカスがダンジョン内で金を採掘している〟可能性を思い付く。
苟も商業ギルドたる者、金目の話を見過ごしてどうするか――との信念の下、細心の注意を払って事実確認に動いていたのだが……〝上手の手から水が漏れる〟の喩えの通り、いつしか余人の知るところとなっていたらしい。
「……そんな報告は受けておらんぞ?」
「甚だ曖昧かつ密やかな噂に過ぎないので、報告を控えておりました」
「うむ……」
副官の話に拠ると、どうやら商業ギルド辺りから流れて来た噂のようだが、話の大元はテオドラムらしい。叶う事なら商業ギルドを問い詰めてやりたいところだが、どうせのらりくらりと言を左右して誤魔化されるのがオチだ。ただ……
「〝火のない所に煙は立たぬ〟と、古人の教えにもあるからな」
「……テオドラムがダンジョン内で金を採掘していると?」
「さっきの疑問とも平仄が合うしな。それを隠すために、恰も我が国が実行犯のように思わせたのだろうが……」
――ダンジョン金山の噂は、巡り巡ってテオドラムが主犯という事になるようだ。
マーカス篇はもう少し続きますが、次回からは舞台がマーカス王城に移ります。




