第二百六十八章 ホルベック卿陞爵顛末~プレリュード~ 4.クロウとルパ
「へー……親爺さんが陞爵するのか。そりゃおめでとう」
その日、エルギンの街中で偶々会ったルパと雑談を交わしていたクロウは、会話の中でホルベック卿陞爵の件を聞いて、素直に祝福を述べる事ができた。
クロウ個人は卿との面識は無いが、連絡会議の事務局をエルギンに開くに当たって、何かと便宜を図ってくれた事は聞き及んでいる。ついでに、ノンヒュームたちの善意が明後日方向に空回りした結果、卿が思わぬ災難を背負い込んだ事も。
故に、そんな苦労を負わされる事になったホルベック卿の慶事と聞けば、これを素直に喜ぶ事ができたのである。
ただ……クロウはそこに、何か重大な事を忘れているような、妙な引っ掛かりを覚えてもいた。それが何なのかは、ルパの次の台詞によって判明した。
「あぁ、ありがとう。だが、母は今頃大慌てだろう。正式な式典は来月だそうだから、それまでにドレスの準備を済まさないとだからな」
ドレス……?
「おぃルパ。俺はそういった事にはからきし疎いんで聞くんだが……そういった式典とやらには、女性はドレスで参加するもんなのか?」
「あぁ。夜会に着るドレスとはまた違って、色々な決まりはあるんだが……まぁ、そういった式典にどんなドレスを着て行くか、他のご婦人がどんなドレスを着ているかは、女性陣の関心の的みたいだな……母や姉の様子から見て」
「……少し立ち入った質問になるが……お袋さんはそういった事を気にする質なのか?」
「それはまぁ。性格を抜きにしても、領主夫人という母の立場を考えると、服装に無頓着なのは色々と拙いからな」
「そうか……」
――訊くまでも無い事であった。
モルファンの王女を迎えるに当たって、どうしても新しいドレスが必要だとエッジ村に捻じ込んで来たのは、他ならぬホルベック卿夫人ではなかったか。
その前科と今回のルパの話に鑑みると……
「……クロウ、母がどうかしたのか?」
「あぁ、いや……俺の取り越し苦労かもしれんが……お袋さんは式典に、エッジ村のドレスを着て行くつもりなんじゃないかと思ってな」
「それは……エルギン領主夫人という立場もあるし、充分に考えられる話だが?」
それがどうかしたのか――という顔付きのルパに、クロウは自分の懸念を説明する。
「去年の十一月に、お袋さんがドレスを新規に発注しただろう? それはつまり、以前に村から贈ったドレスでは不都合がある……恐らくは既にどこかでお披露目したんで、同じものを着回すには差し障りがあるという事だと思うんだが」
「それは……多分クロウの言うとおりだ。母の性格を考えると」
「だとしたらだな、今回の式典とやらに何を着て行くのかが問題になるんじゃないのか?」
「あ……」
仮にも王都で行なわれる、夫の陞爵式なのだ。ホルベック卿夫人の立場と性格を考えると、以前に着たであろうドレスをそのまま着て行くのは難しいのではないか? 然りとて新しく注文したドレスは、五月にご来臨あそばすモルファン王女用に取っておかねばならないだろうし、第一出来上がっているかどうかが疑問である。新規の発注など言わずもがな。
「ク、クロウ……どうしたら……」
「落ち着けルパ。エッジ村の村長は用心深い性格だから、何か奥の手を残しているかもしれん。至急に問い合わせる必要があるが……」
ここバンクスからエッジ村までは、歩いて行けば十二日はかかる。それも雪に覆われていない時の事だ。まだ街道に雪の残る今なら、馬を走らせても相応の時間が掛かるだろう。
「……ルパ、飛竜便を手配する事はできるか? 駄目ならパートリッジの御前に頼み込んででも仕立ててもらえ。俺が連絡会議の知人宛に手紙を書くから、それを届けさせるんだ。獣人の身体能力なら、雪道をエッジ村まで往復する事もできるかもしれん」
ホルベック卿が苦労を背負い込んだ理由の一端が自分たちにあると自覚しているクロウは、ここでその借りを返す事にする。連絡会議の連中だって、事の次第を聞けば同意するだろう。
確かエッジ村の村長は、こういった場合に備えての一手を隠し持っていた筈。当座凌ぎの間に合わせの感が強いが、工夫次第では何とかなるだろう。その指示を届けるのは、獣人の身体能力を当てにするしか無い訳だが……
「……まぁ何とかなるだろう。少なくとも、ここで腐ってるよりはマシな筈だ」
「解った! 直ぐにでも飛竜便を手配する!」




