第二百六十七章 モルヴァニア 1.モルヴァニア王城(その1)【地図あり】
ここからは少し周辺勢力の動きに目を向けてみよう。
最初に俎上に載せるのは、アバンでも何度か話題に上ったモルヴァニア。その王城内の一室で、今しも国務卿たちの討議が始まるところであった。
・・・・・・・・
「テオドラム国内をマルクトからニルへ向けて、イラストリアとの国境沿いに延びている街道。然して賑わってもいないその街道を大々的に整備すると、テオドラムが国内外に向けて告知した事は、既に諸君らの耳にも届いておろう。本日はそれについて討議したい」
むっつりと口火を切ったその男を、居並ぶ面々は当惑の色を浮かべて眺める。
あの国が傲岸不遜で独善的なのは承知しているが……これはさすがに筋違いではないのか? 自国内の街道をどう整備しようと、それは彼らの勝手だろう。下手に口を突っ込めば、内政干渉の誹りを免れ得まい。国境を接するイラストリア辺りは神経を尖らせているかもしれないが、少なくとも我が国には無関係だろう……
……と言いたげな一同の顔付きを見て、不服そうに鼻を鳴らす男。
「……国境沿いに延びる街道を整備、或いはその運用性の改善を図る――という話を聞いて、何も思い当たる事が無いと言うのかね? 君たちは」
――と、大声にはせずに熱り立つのだが、粗方の者たちは当惑顔のままである。
しかし、中には何かに思い当たった者もいたようで、
「……ひょっとして、テオドラムの東街道の事かね? 何年か前の国務会議で懸案事項となった?」
「ひょっとしなくてもその事だ!」
二年ほど前にテオドラムとマーカスの国境線上に突如として出現した岩山、その実は後に「災厄の岩窟」と――一部では「最悪の岩窟」とも――呼ばれる事になるダンジョンを巡っては、各地各国で各個各様の騒ぎが持ち上がった事は記憶に新しい。……と言うか、今も陸続と騒ぎを引き起こしている最中である。
その騒ぎに乗じて、或いはそれを奇貨とするようにして、テオドラムはマーカスとの国境線上に軍事拠点を整備した。まぁそれ自体については、同じ事をマーカスもやっているのだから、別段咎められる筋合いは無い。
にも拘わらず、その件が懸案事項として議題に上ったのは……
「……『災厄の岩窟』のある位置が、丁度ニコーラムとグレゴーラムのほぼ中間。ゆえにこの『岩窟』は、ニコーラムとグレゴーラムの間で兵を移動する際の中継拠点、あるいは支援拠点となり得る。そして……」
「……我が国に面した――と言うには少し距離が離れておるが、それでも無視できぬ位置に出現したシュレクのダンジョンを監視するためと称して、テオドラムはその後背部に監視拠点を作った。この位置が丁度ウォルトラムとニコーラムのほぼ中間。……街道筋からは些か外れておるが、な」
「つまり……これらの拠点を整備する事で、テオドラムはウォルトラム~ニコーラム~グレゴーラムの間で、より迅速な兵力の展開が可能になる……」
モルヴァニアおよびマーカスとの間がきな臭くなっている現状では、東街道における軍事展開能力を高めておく事は、テオドラムの国益にも適うであろう。……逆に言えば隣国としては、それが侵攻のためであれ防衛のためであれ、国家安全保障の観点からも看過できない事態である。
そしてそのテオドラムが今、同じ事をイラストリアに対して仕掛けようとしている。
……成る程、これは確かに気になる話だ。少なくとも、国務会議の場に持ち出されるくらいには。
「イラストリアの迷惑の事は、当面は措いておく。我々にとっての問題を論ずるのが先だ。
「先のテオドラム東街道の件、どこからどこまでがテオドラムの狙いであったのかは判らぬが、二年後に同じ事をイラストリアに対して仕掛けようとする以上、それなりの手応えがあったという事だろう」
……違う。
言い出しっぺの男は〝街道の整備、或いはその運用性の改善〟などと宣っているが……当のテオドラムにそんなつもりは露ほども無い。もしもテオドラムの国務卿たちが聞いたら、罠だ濡れ衣だ言い掛かりだと、口角泡を飛ばして否定するだろう。そも大体に――だ、いざ兵力を迅速に移動しようとする時に、なぜに態々物騒なダンジョンに立ち寄らねばならないのか。軍事的必然性の欠片も無いではないか。




