第二百六十六章 アバン 7.宿泊者たち~井戸端会議~(その1)
何事も――良い事も悪い事も――無く廃屋で一夜を過ごしたレンドとスキットルは、朝食の支度のために水場へと向かった。実はこの水場、クロウが宿泊者の利便を考えて整備したものである。
とは言っても、別にクロウが福祉だの公益だのといった意識に目覚めた訳ではない。アバンの廃村こと「間の幻郷」を――当初予定していたサルベージ品の処分場としてではなく――諜報拠点として整備するに当たって、宿泊者を集めるような場所があれば諜報に便利だと気付いただけである。
幸いにしてこの廃村には、村が放棄される前に活用されていた水場――要は公共の井戸――があったため、そこに少し手を掛けてやるだけで、クロウの目的に適う場所を提供できたのである。
無論、その存在意義は諜報……と言うか、会話の傍受にあるのだからして、そっち方面のギミックも充実している。
基本的には伝声管であるが、「朽ち果て小屋」とベジン村での知見を元にして、地中のひび割れや小動物の通路にしか見えないように擬装したものをあちこちに配置してあるのだ。地上での会話はこの〝伝声管〟を通じて地下のダンジョンにもたらされる訳だが、そこまでの過程はほぼ完全に物理的なプロセスであって、魔法の介在する余地は無い。従って、魔力の動きから盗聴を察知する事はできない筈である。
傍受した会話は、それ自体では微かで断片的なものでしかないが、ダンジョンマジックによって除歪・増幅・雑音除去などの処置を施してやる事で、クリアーな会話が再現できるようになっていた。つくづく便利な能力である。
その甲斐あって、クロウたちは水場に集まって来た商人たちの会話から、これまでにも色々な情報を聴き取る事に成功していたのだが、この朝そこに新たな成果が加わろうとしていた。
・・・・・・・・
「よぉ、お早うさん。昨晩は空振りだったみてぇだな」
「えぇまぁ。……どうしてご存知なんです?」
「そりゃ、俺たちだって念のために夜番は立ててるんだ。霧が立ち籠めりゃ直ぐに気付くわな」
「あぁ……そういう事ですか……」
地上部にある「アバンの廃村」に泊まった者が地下の「間の幻郷」に転移させられる時には、幻惑や認識阻害の効果を持つ霧――今は早春なので、「霧」ではなく「霞」と呼ぶべきかもしれない――が展開されるようになっている。
ただ、一般にはそのヴィジュアルから、〝霧は「迷い家」の付属品〟のように思われており、「迷い家」の出現を示すものとされていた。昨夜はその「霧」が出現しなかった事から、今回は外れであると判断されていた訳だ。
ちなみにであるが、レンドとスキットルの二人は夜番など立てずに熟睡していた。その代わりは夜間警戒用の魔道具が務めていた。
これは、冒険者であるスキットルはともかくレンドは夜番としては当てにできないと考えたマナステラ上層部が、伝手を辿って入手したものを提供したのである。便利ではあるが高価な品なので、一般にはそこまで普及していないが、今回の任務に限っては必需品とも言えた訳だ。
――と、そういう裏事情の事など少しも斟酌せずに、行商の男は言葉を続ける。
「ま、少し前に貰ったやつがいたってぇから、今回は厳しいんじゃねぇかと思ってたからな」
その件については初耳の二人であったが、それ以外にも気になる点があった。
「『迷い家』は続け様には現れないという事ですか? 一定の間隔を置いて出現すると?」
できれば「迷い家」のドロップ品を入手したいと考えている二人にとっては、聞き逃せない重要情報であった。しかし――
「いや、そういう訳じゃねぇ。間の長さもてんでバラバラだしな」
「前にサガンの商業ギルドが、王都から偉い学者を呼んで調べてもらったそうだがな。規則性は見つからなかったって聞いたな」
「え……」
「そうなんですか……?」
舞台裏で耳を澄ませていたクロウにとってもこの件は初耳だったが、そうと聞いてしてやったりという表情を浮かべていた。何しろクロウは乱数表まで持ち出して、ドロップの予測を立てられないようにしているのだ。
だがまぁ、そんな宿主の密かな満足感などは別にして、水場での会話は進んで行く。
拙作「転生者は世間知らず」二巻発売記念の幕間話を、本日20時頃に公開します。幕間という割に六回分あるので、暫く火曜と金曜に更新する予定です。
本編の再開はもう少しお待ち下さい(^^;)。




