第二百六十五章 バンクス~雪の積もった日~ 1.肖像画顛末
迷姫リスベットとその父親ロイル卿から依頼された肖像画――ただし着彩していない素描画――が描き上がったその日、このところ降り続いていた雪が久々に止んだ事もあって、クロウはその絵を届ける事にした。
ロイル卿は目下パートリッジ卿の屋敷に滞在している訳だし、どうせシャルドの出土品絡みであれこれ相談したい事もある。気分転換の散歩も兼ねられるし、丁度好いと言えば丁度好い。
とりあえず階下の食堂に降りて、何か絵を包むものが無いかジェハンに相談してみよう。
……そう考えて下に降りたクロウであったが、
「いやクロウさん、ものは相談なんだが……この絵の写しを作ってもらう訳にゃいかねぇだろうか?」
完成した肖像画――リスベットの他に、ミンナとマルコというジェハンの子供二人が描かれている――を見たジェハンから、相談を持ちかけられる事になっていた。
「写し――ですか?」
「あぁ。一から描いてもらうのは無理でも、写しぐらいならできないかって思ってよ。あ、勿論お嬢様のお姿までは、畏れ多いんで遠慮させてもらうわ」
「はぁ」
どうやら愛娘と愛息の絵姿を見て、自分の手元にも置きたくなったらしい。
こんな事もあろうかと、クロウは作業過程を随時デジカメで撮影しておいたので、描き増し自体は難しくない。同じ構図で同じような絵を描くのが面倒なだけである。
面倒な話には違い無いが、ここ「樫の木亭」はクロウの冬の定宿でもあるし、ジェハンとの間に蟠りは作りたくない。ゆえにクロウはこの話を引き受けたのであるが……
・・・・・・・・
「どうだろうかクロウ君」
「はぁ……」
出来上がった肖像画を届けた先で、似たような話をロイル卿からも持ちかけられて、クロウは当惑する事になっていた。
「いや、恥ずかしい話なんだが……あれで娘は使用人たちから『迷姫』の渾名を奉られるほどに、何と言うか……行方を晦ますのが巧みでね」
そう、言い訳がましく説明を始めるロイル卿を前にして、
「はぁ……」
クロウも間の抜けた相槌を打つしか無い。リスベット嬢の神出鬼没ぶりは身に滲みて承知しているが、迷姫と追加依頼とがどう関係するのだ?
「いや――要するに、改めて描いて欲しいのは人相書き用の分なんだ」
「ははぁ……」
ここに至って漸く、クロウにもロイル卿の狙いが見えてくる。
どうやら完成した肖像画を見たロイル卿が、これだけの手並みなら逃げた愛娘を捜し廻る際の人相書きにも使えるのではないか――と、知恵を巡らせた結果らしい。
クロウとしては――ジェハンの依頼に引き続いて――面倒な話だが、トラブルメーカーな娘を持つ父親の気持ちも解らないではない。クロウはこれでも物書きなのだ。惻隠や忖度は人物描写の基本である。
況して目の前にいるロイル卿は、パートリッジ卿の知人でもある。人間関係で面倒を背負い込みたくないクロウとしては、引き受けざるを得ないではないか。
それに第一、この後もまたぞろ行方を晦ました迷姫が、今度は別のダンジョンに現れるかもしれないではないか。――例えばマナステラに開設予定の新ダンジョンとかに。
(そんな面倒は願い下げだし……予防策の一助というなら仕方がないか)
――最初に肖像画の依頼を受けてから六日後の事であった。




