第二百六十三章 迷姫襲来 1.訪れた災難
ボルトンから押し付けられた「双子のダンジョン」の原画作製依頼。その理不尽をどうにか呑み込んだクロウの許へ、新たな心労が舞い込んで来たのは、それから一週間後の事であった。
「おぅ、お早うクロウさん。お客さんがさっきからお待ちかねですぜ」
「客……?」
ニヤニヤと意味深に笑いながら「樫の木亭」の主人ジェハンが投げかけた台詞に、クロウは起き抜けの頭を捻る事になった。
こんな朝早く――註.クロウ基準――からクロウの寝込みを襲うような不届き者は、ルパぐらいしか思い当たらない。しかし犯人がルパならば、温和しくクロウの目覚めを待つような、そんなお行儀の良い真似はしないだろう。無遠慮千万に扉を叩いて、不機嫌なクロウの一喝を受けて萎み果てる……そういう展開になる筈だ。
何よりも、ルパならジェハンも既知の間柄であり、ああいう思わせぶりな態度を取るのは解せぬ……などと考えていたクロウの眠気は、階下の食堂に入った途端に吹き飛ぶ事になった。
「――な、何で……?」
「お早う! クロウのお兄ちゃん!」
「おはよ……ごじゃます」
「お早うございます」
「樫の木亭」の看板娘ミンナと、ついでにその弟のマルコ少年――「ニキーチンの積み木」を貰って以来、クロウに対する好感度は爆上がりしている――と和やかに談笑していたのは、あろう事か選りにも選って……
「……ロイル卿のお嬢さん……何でここに……?」
ロイル卿の愛娘にして、モロー・シャルド・バンクス各地の冒険者ギルドから要注意人物と認識されている、「迷姫」ことリスベット・ロイル嬢であった。
想定外にも程がある事態に当惑混乱したものの、そこはクロウも社会人の端くれ、素早く体勢の立て直しを図る。
「――あ、お早うございます。……お嬢さんはなぜここに?」
「ん、遊びに来た」
「……いや……遊びに――って……」
クロウがバンクスでの定宿にしている「樫の木亭」は、基本的に商人などを相手にした中堅どころの宿屋である。どう罷り間違っても、〝貴族の令嬢〟が〝遊びに来る〟ような場所ではない。
(『つまりこれって、マスターに会いに来た――って事じゃ、ないですか?』)
(『ますたぁ、人気者ですねぇ』)
(『勘弁してくれ……』)
どうも新年祭の喧噪が引いて、監視の目も緩んだ隙を衝いてパートリッジ邸を脱出し、ここ「樫の木亭」に辿り着いたようだが……
(『いや……幾ら何でも偶然が過ぎやしないか?』)
(『だからマスター、偶然じゃないんじゃないですか?』)
(『探し当てたんじゃなぃですかぁ?』)
――まさか……と思いたいクロウであったが、実は思い当たる節が無いでもない。
(『「還らずの迷宮」に潜り込んだ時も……実に正確に奥へ進んでいたな……』)
だとすると、「迷子」というのは傍から見ての事で、リスベット本人はちゃんと目的地に辿り着いているのかもしれぬ。
つまり……リスベットは確信犯的にクロウの寝込みを襲ったという事だ。
考えれば考えるほど碌でもない結論に至り、心中密かに悩乱するクロウであったが、その苦慮も長くは続かなかった。他ならぬリスベットの台詞がそれを破ったのである。
「クロウさんは絵描き?」
「え? ……えぇ、まぁ」
ともかく、公式にはそういう事になっているし、パートリッジ邸での晩餐会の時にも、確かそう紹介された筈だ。
「だったらお願い。私の絵を描いて」
「……は? ……お嬢さんの絵を?」
「うん。できたらミンナとマルコと一緒の構図で」
「……は?」




