第二百六十一章 やって来た学者 3.エルギン ノンヒューム連絡会議事務局
雪道で往来に難儀した事もあって、ベルフォールがイラストリアのバンクスに到着したのは一月も半ばとなった頃であった。そこから、まずは詳しい事情を知りたいと、ベルフォールは連絡会議の事務局のあるエルギンへ向かう事にする。
で――事務局に漸う辿り着いた一月末、ベルフォールはそこでノンヒューム指導部における機密案件を聞かされる事になった。
「……異国の精霊術師……ですか?」
「それ以上の事は聞かされていないし、詮索を許されてもいない。ただ……桁外れの魔力をお持ちだという事は肝に銘じておきたまえ」
「それこそ、我々が束になっても敵わないほどの――な」
「目下のところは我々と歩調を合わせて、テオドラムに当たって下さっている」
「……と言うか、対テオドラムの戦略は、ほとんどが精霊術師様のお知恵によるものだ」
「砂糖や古酒は言わずもがな――な」
「ははぁ……」
どうもとんだ機密を聞かされたようだと、朧気ながら理解するベルフォール。……セルマインのやつめ、肝心な事には知らんぷりを決め込みおって……
後で会ったらとっちめてやると固く心に誓うベルフォールであったが、その間にも指導部による事情説明は続いている。
「セルマインからは、食文化の研究者だと聞いているが?」
「えぇ、まぁ」
食い意地が高じた結果、その食べ物はどの範囲で入手できるのか、他の地域ではどう食べているのか、他に似たような食べ物は無いのか――などにも関心が移り、挙げ句の果てには文化史や民俗地理にまで手を広げる事になっただけなのであるが……そういう個人的な事情まで話す必要は無いだろう。
「イラストリアからの依頼は学院での講義だ。必然的に、講義の相手は人族となる。誤解や支障無く、かつ遺漏無く講義を進めるためには、人族の文化や習俗、考え方に通じている必要がある。その点はどうかね?」
ベルフォールは寸刻考える。本職として講義を行なった事は無いが……
「人族を相手に訊き取りを行なった事は何度もあります。なぜそんな事を調べているのかを理解してもらう必要から、研究内容を説明した事も。何れの場合も最終的には納得してもらえたようでしたから、説明に問題は無かったものと」
指導部の面々は暫く考えていたようだが、どうせ他に当てがある訳でも無し、ここは試してみるしか無いと結論付けたようだ。
「先方からはなるべく早く王都に来てくれと言われている。あちらにも色々と都合があるようだな」
「研究者として立ち寄りたい場所は多々あるだろうが、まずは王都に向かってくれ」
「細かい事は、学院で担当者と詰める必要があるだろうが……」
「言うまでも無いが、精霊術師様の事は一言も口に出さないでもらいたい」
「いや、それだけではなく……もし仮にそれらしき人物に出会っても、不用意に声などかけないでくれ」
「君は精霊術師様とは面識も無いし、そんな人物の事を聞いた事も無い。……解るね?」
「機を見て我々の方で紹介する事になると思うが……今はそれを徹底してくれ」
……どうやら「精霊術師様」に関する事の一切は、最重要機密扱いらしい。まぁ、余計な詮索さえしなければ問題無いらしいので、ベルフォールも素直に頷いておく。
……と言うか、余計な詮索をしている暇などあるかどうか。聞かされたスケジュールが正しいのなら、遅くともモルファンの王女が来る五月まで、できれば学院の授業が始まる四月までには、講義の内容を決めてその準備を済ませておかねばならない。講義の資料を用意するだけでも、それなりの時間を取られそうだ。
……準備の合間を見てシャルドやシアカスターを訪問できないかと考えていたのだが、この分では少々難しいか?
――というベルフォールの内心を知ってか知らずか、ここで指導部は更なる面倒事を持ち出した。
「その――モルファンからお見えになるという王女殿下だがね……食の好みが一風変わっておいでのようだ」
「ついては――王女殿下に向けたメニュー検討に協力してもらえないだろうか?」
「……は?」
事情を聞かされたベルフォールは、好奇心もあってその依頼を引き受ける事にした。ノンヒュームの伝手が及ばない事もあって、北国モルファンの食文化については、調べが進んでいないのだ。その調査の一助になりそうだというなら、多少の協力はするに吝かでない。
――エルギン領主ホルベック卿の伝手を借りて、ベルフォールが飛竜で王都イラストリアへ向かったのは、二月の頭の事であった。




