第二百六十一章 やって来た学者 2.アマチュア学者ベルフォール
ここで少しばかり時間を取って、問題の人物の経歴とここまでの事情について、一齣説明しておこう。
問題の人物はベルフォールという名で、マナステラの片田舎に引き籠もって独りコツコツとノンヒュームの食文化について研究していた、エルフのアマチュア学者であった。
元々が食い道楽を自認していたのだが、食への関心が高じたあまり、文化人類学とか民俗学とかに近い分野にも足を踏み入れたという経緯がある。最初はエルフの食習慣について調べていたのだが、文化だの習俗だのというものは、種族の垣根を越えて伝わるという性質があり、それがためにドワーフや獣人、果ては人族の食文化・食習俗にまで手を広げる事になった。今回の注文に誂えたような人材である。
そんな彼がこの件に引っ張り込まれる羽目になったのは、元はと言えばセルマインの保身が切っ掛けであった。
マナステラ王国の王都マナダミアに商会を構えるエルフの商人セルマインは、有為の人材として連絡会議に目を付けられたばかりに、充実した――しかし死ぬほど忙しい――日々を送る羽目になっている。
そんな彼のところに、〝ノンヒュームの文化に詳しく、しかもそれを人族の生徒に教える技倆を持った者〟が探されているとの噂が舞い込んだのが昨年の暮れ。ノンヒュームの文化を人族に教えるとなると、これはノンヒューム・人族双方の文化や習慣に馴染んだ者でなくてはならない。……例えば、商業活動を通して人族の習慣を知悉している者とか。
白羽の矢が自分に向いてきそうな不穏な気配を――この数年で頓に鋭敏になった危機感知能力で――察したセルマインは、多忙を理由にした予防線を張る一方で、駄目押しとして自分に代わる生贄が必要だとも考えていた。
そして案の定、連絡会議からそのような打診を受けたセルマインは、事前に立てた計画に従ってこれを一蹴。と同時に、心当たりを当たってみるとも口を添えて、それ以上の追及を躱す手に出た。更にその三日後、セルマインはマナダミアにある自商会の拠点に魔導通信機で連絡。マナステラの地方都市に住まうエルフのアマチュア研究家ベルフォールに、冒険者ギルドを介して連絡するよう指示を送る。この「アマチュア研究家ベルフォール」こそが、セルマインが予てから身代わりにと密かに目を付けていた人材だったのである。
マナステラの片田舎に逼塞していそのベルフォールが、新年祭に合わせてマナダミアにやって来たのが去年の暮れ。冒険者ギルドからの伝言に従ってセルマインの商会を訪れた彼は、そこで魔導通信機によってセルマインとのオンライン会談を果たす。
「イラストリアでヒューマン相手に文化史の講義? 馬鹿も休み休み言え」
『おや? 普段から在野の学者を標榜している君の言葉とも思えないな。学問の成果は市井に還元すべきだと、常日頃から言っていなかったか?』
「……それとこれとは別だ。こっちがそんな面倒を抱え込む理由がどこにある?」
『最低でも三つあるな。それも説得力満点のものが』
「……言ってみろ。ただし、引き受けるとは一言も云ってないからな」
通信機越しのベルフォールの反応に、食い付いたな――と内心でニンマリしているセルマイン。だが、そんな肚の内はおくびにも出さず、
『まず第一に、これはノンヒューム連絡会議からの依頼、つまりはノンヒュームの総意という事だ。上意下達は君の好みではないだろうが、仇敵テオドラムに一矢報いるために、イラストリアと共同戦線を張るその一歩……だと聞かされて、それでも我が儘を言えるかい?』
「……三つと言ったな? 二つ目は何だ?」
『イラストリアはビールや砂糖菓子の本場だぞ? 食文化の探求者である君にとっては、聖地も同様の場所だろう』
「話にならんな。ビールも砂糖菓子も、ここマナダミアで充分手に入る。態々イラストリア下りまで行く必要は無い。……三つ目は何だ?」
『イラストリアは新たな食文化の発信地だ。ここに来れば、その新たな食文化が受容され拡散してゆく過程を、その目で具に確かめる事ができる』
「………………」
説得――もしくは懐柔――されたベルフォールがマナダミアを出立したのが一月の上旬、新年会が終わった早々の事であった。




