第二百六十章 テオドラム~寒村発混迷便~ 2.テオドラム王城(その1)【地図あり】
「国民の間に好からぬ噂が広まっている? どういう事だ?」
恒例の国務会議の席上、憮然たる面持ちでそう告げたメルカ内務卿の台詞に、他の面々は困惑の表情である。同じような話はつい先日にも聞かされたが、あの件は片が付いたと言ってなかったか?
「……そちらの方も〝片が付いた〟訳ではなくて、当面打てる手を打っただけだ。それに……今回明らかになったのはウォルトラム方面ではない」
苦虫を一ダースほど纏めて噛み潰したような表情で内務卿が告げた地名は、
「……ニル、だと? あの町が何で我が国に叛旗を翻す?」
「別に叛旗を翻した訳ではない。事情は些かややこしいのだが……」
そう前置きして内務卿が説明したのは、昨年来リーロットで始まっている盛大な町の再開発――ちなみにいまも続行中――と、そこの現場作業員として少なからぬ人数のテオドラム国民が働きに出ているという実情であった。それ自体は――少しばかり面白からぬ話ではあるが――特に咎め立てするような筋合いのものでもない。ただ……
「迂闊と言えば迂闊な話なのだが……そのように賑わっている場所には、酒と女と吟遊詩人が付きものだという事を失念していたのだ」
やって来た吟遊詩人は当然、他の場所で話題になっているネタを吟じてお捻りを貰う訳であるが、その〝他の場所で話題になっている話〟のトップを目下飾っているのが、シュレクにおけるテオドラム兵士の暴虐ネタなのである。
時期的には少し古くなっているのだが、何しろ〝横暴なお上とその手先、虐げられる村人、颯爽と現れて窮地を救うヒーロー〟という王道の三要素が揃った実話ネタという事で、未だに圧倒的な人気を誇っている。……「ヒーロー」がダンジョンとスケルトンである事など、民衆受けする「事実」の前には些細な問題だ。どこぞの国にも「O金バット」とかいう怪ヒーローがいたではないか。
ただ――ここでリーロットという地理的な位置が、テオドラム側にとっては幸いした。
リーロットでの作業員募集に応じた者の大半は、ニルにほど近い場所に住まう者たちであった。言い換えると、シュレクとは離れた地方の者たちである。ゆえに、〝他の土地にはそんなクズもいるんだ〟くらいの認識で、言うなれば他人事として聞いていたのである。
「ところが……件の作業員募集に応じた者たちの中に、ボーデロットの村人がいた」
「ボーデロット?」
「どこだ、それは?」
「リーロットと似た名だが……何か縁が?」
口々に放たれる質問に、内務卿は――少しウンザリした表情を浮かべつつも――律儀に答えていく。
「ボーデロット――土地の者はただ単に『ボーデ』とか『ボーデ村』とか呼んでいるようだが……位置的にはイラストリアとの国境を挟んで、リーロットと対峙する場所にある。あと、名前の類似は単なる偶然だろう」
「成る程、それなら作業員募集に応じるのも無理はないな」
「……いや……ちょっと待ってくれ。……その配置は何かで聞いた事が……」
メルカ内務卿は得たりとばかりに大きく頷くと、その答を口にする。
「昨年、イラストリアとの国境付近の村で、トレントが……正確にはその危険性のある木立が突如として発生したという話があっただろう。――そこだよ」
「あの村か!」
「確か……兵を差し向けて処分したと聞いているが?」
「待て。その村は確か……突如として国境の手前に悪質な阻止線を布かれ、薪の採集にも難渋していると報告を受けたぞ?」
「間違ってはおらん。ただ、村の者たちが〝薪を採集していた〟場所が、イラストリアの領内であっただけだ」
「……阻止線とはどういうものだ?」
「便宜上〝阻止線〟という言葉を使ったが、実態は森林の周りに付きものの、草や灌木の茂みらしいな。生えている種類も別に特別なものではないようだ」
「むぅ……しかしそれなら――」
「ただ――有毒や有刺のものが多く、伐り払って森林に入るのは困難らしい。何しろ、茂っているのはあのイラバだ」
「イラバ……」
「あの厄介な蔓草か。あの棘には酷い目を見せられたもんだ」
「しかも、弾力があって簡単には伐れん。枯らしても数年はそのままだしな」
「おまけに、燃料としても大したものにはならん。……最悪だな」
一同が一様にウンザリした表情を浮かべるが、一人が何かに気付いたように、
「……待ってくれ。そのイラバが国境の手前に茂っているという事は……国境を越えてリーロットに向かうのは?」
「現状では不可能だ。ゆえに一旦ニルの町に向かい、そこで纏まってリーロットへ向かったようだな。まぁ、今のところニルの冒険者ギルドが作業員の斡旋と取り纏めを行なっているようだから、丁度好いと言えば好いのだが」
ふむ――と納得した様子の一同に向かって、
「で――問題なのは、ボーデの村人がこの作業員募集に参加した事だ。……冬越しの薪代を得るためにな」
「薪代……そうか、今までのように森からは得られなくなっていたのだな」
「不憫と言えば不憫だが……」




