第二百五十九章 ボルトン工房 2.モロー~ダンジョンのある風景~
「いやちょっと待って下さいよ。ダンジョンの絵と言われても……幾ら何でも中に入るのは無理ですよ? シャルドの場合は特例だったんですから」
嘗てクロウはイラストリア王国の依頼を受けて、シャルドの「封印遺跡」の内部を絵にした事がある。あの時は確か、ボリスとかいう若者が案内に立ってくれたが……
「いやいや、そりゃ解ってるって。幾ら俺でもそんな無茶は振らねぇよ」
どうだか――とジト目でボルトンを眺めるクロウであったが……実を言えば、「双子のダンジョン」の内部をスケッチするなど、クロウには朝飯前の話であった。何しろそれらのダンジョンを管轄しているのが、ダンジョンロードたるクロウ本人なのだから。
だが、間違ってもそんな事をカミングアウトできない立場のクロウとしては、ボルトンの発言に敏感にならざるを得ない。一体どういう意図なのか……?
「だからよ、クロウさんに描いてほしいってのは、入口付近の様子なんだわ」
「……は? 入口? ……入口ってダンジョンの入口ですか? けど……」
ダンジョンの入口と言われても、別に物々しい石像が番をしていたり、古代ギリシアの神殿宜しく壮麗に象られていたり、はたまた〝注意! ダンジョン内立ち入り禁止!〟――などという看板が立てられている訳ではない。言ってしまえばただの穴である。
「……何の変哲も無い穴ですよ? そんなものを描いたって……」
「けどなクロウさん、その〝何の変哲も無い穴〟を見るために、見物人がワンサと群がってんだろ?」
「まぁ……確かに。世の中酔狂な茶人が多いものだとは思いましたけど」
モローの「双子のダンジョン」を任せているロムルスとレムスから話を聞いて、クロウもこっそりその「観光客」とやらの様子を窺ってみた事がある。確かに単なる「穴」に過ぎない入口を、飽きもせずに眺めている者たちがいて、クロウも前掲のような感慨を抱いたのだ。
「まぁな。それでも『流砂の迷宮』の入口は奇観だってんで評判になってたんだが……それに較べると『還らずの迷宮』の入口はちっと地味だろ? ちょいと分が悪かったんだが……」
「還らずの迷宮」の入口は単に狭い穴でしかないが、「流砂の迷宮」の入口は、滝のように砂が流れ落ちているのに埋まらないという不思議物件である。なので見映えの点では「流砂の迷宮」に見物人の軍配が上がっていたらしいのだが……
「……迷い込んだ子どもを無事に帰しただけでなく、大人の監督不行届を糾弾したってんで、ここへ来て『還らずの迷宮』の評判がグンと上がってるって話だな」
「……親方……やけに詳しいですね……?」
「そりゃクロウさんよ、俺みてぇな商売やってりゃあ、名所の評判ってやつは気に懸かるわな。だから普段から耳を澄ませてんのよ」
ボルトン工房は版画の製造・販売を主な業務としているが、名所旧跡や各種イベントの風景・光景を描いた小サイズの版画は、一般向けの主力商品である。その売れ筋を気に掛けるのは、工房的に当然の事らしい。
「……すると、二つのダンジョンの入口付近の様子を描けばいいんですか?」
観念した様子のクロウがそう問いかけるが……ボルトンの答は無情であった。
・・・・・・・・
『へ~え、クロウが書いた立て札が、そんなに評判になってる訳?』
『まぁ、ダンジョンマスター直筆の高札なぞ、空前絶後じゃろうからのぉ』
『勘弁してくれ……』
シャノアと精霊樹の爺さまが話している〝立て札〟或いは〝高札〟というのは、言うまでも無く迷姫騒ぎの時に、クロウが臨時通路の跡地に立てた「関係者以外立ち入り禁止!」の立て札の事である。
クロウが七割の立腹と三割の茶目っ気を遺憾無く発揮した結果、上記のような高札を掲げるに至ったのだが……
『それが今や、モローの重要な観光資源になってる訳ですね、マスター』
『勘弁してくれ……』
若気の至りとでも言うのか、自分が残したやらかしの証拠が評判を取っており……のみならず、当の自分がその「黒歴史の跡」を描き残さねばならないという……拷問のようなミッションを熟す羽目になったのである。
クロウの憔悴も宜なるかなと言えようが……
『こーゆーのを「自縄自縛」って云うんでしょ? クロウ』
……シャノアの指摘もまた、道理に適ったものであったのである。




