第二百五十八章 モルファン王女嗜好品問題 7.クロウ一味(その4)
『俺は豆腐を考えてみたんだが』
『あ、冷や奴とかですか? マスター』
『でもぉ、あれってぇ、醤油ぁりきなんじゃなぃですかぁ?』
『あー……確かに』
『いや、冷や奴も良いが、俺が考えていたのは塩や味噌に漬け込んだり、或いは豆腐を醗酵させたやつなんだが』
豆腐を酒に漬け込んで醗酵させた発酵させた「豆腐よう」、塩に漬け込んだ塩豆腐、或いは味噌漬けなどは、何れも知る人ぞ知る珍味である。酒の肴としても優秀だし、塩豆腐などはチーズと能く似た味わいになると聞く。
この世界では凝乳酵素――仔牛などの胃から採れる――以外でのチーズ製法は普及しておらず、チーズは随時造れるようなものではなかった。塩豆腐はそんなチーズの代替品に成り得るのではないかと言うのであるが……
『豆腐作り自体、難度が高いんじゃないですか? 主様』
『むぅ……確かに』
豆腐は豆乳を苦汁などの凝固剤で固めて作る……と、口で言うのは簡単だが、抑豆乳を造る事自体が簡単ではない。
水で戻した大豆を磨り潰し、焦げ付かないように加熱してやる必要があるのだが……大豆サポニンの作用で激しく泡立つため、こまめに泡を掬い取るか、消泡剤を加えてやる必要がある。この段階で焦げ付いたら台無しになるので、温度管理にも注意してやる必要がある。更には、凝固剤として苦汁を用いるのだが、これもそう簡単に……少なくとも日常的に手に入るようなものではない。
そんな苦労までして作り上げた豆腐は、それ自体では何の味もしない代物であるから、どこまで受け容れられるかどうかが判らない。それに……
『チーズの代わりになるって事は、チーズと変わらないって事じゃないの? クロウ』
『そうなんだよなぁ……』
味噌や泡盛に漬け込んだものはまた別であろうが、こっちは味噌や泡盛の存在が大前提である。どちらもこの世界には無いのだから、まずそちらから手配する事になり……
『大仕事じゃの』
『よし、止めよう』
――と、これもあっさりと棄却が決まる。そうすると次は……
『あ、梅酒の梅ってぇ、どぅですかぁ?』
『梅酒か……』
豆腐を泡盛に漬け込むという話から、梅酒を連想したらしいライによる、或る意味で意表を衝いた提案に、クロウたちも考え込んだ。
確かに梅酒の梅と言えば、今も昔も子どもたちの大好物である。どうせ果実酒の事はノンヒュームたちに教えてあるし、モルファンにも提供する予定なのだ。そこに梅酒というレパートリーが増えるだけ。
ホワイトリカーは現状クロウしか用意できないが、それはつまりイラストリアでもモルファンでも入手が難しいという事でもある。ノンヒュームの特別感を演出するには持って来いだろう。ノンヒュームも蒸溜酒の技法は学びつつあるし、彼らにノンヒュームに砂糖造りを任せるようになれば、ホワイトリカーも自力で生産できる筈。
唯一の懸念はと言えば……
『……こっちの世界に梅ってあるのか?』
――これである。
地球でも梅や杏は中国大陸の原産で、ヨーロッパには生育していなかったような気がする。イラストリアやその近隣国の風土は、概ね地球のヨーロッパに通じるものがあるから、梅に相当する植物が生えているかは疑わしい。
となると、海外から導入されているかどうかが肝になる。地球の史実に鑑みると、梅はともかく杏の方は入っていてもおかしくない気もするが、クロウは今までこちらの世界で杏を見た憶えが無い。眷属たちに確認しても、やはり一同首を傾げるばかり。
それはつまり、梅そのものもクロウが持ち込むしか無いという事なのだが……
『幾ら俺が〝異国から来た絵師〟だからと言っても、梅の苗を持参しているのはおかしいだろう』
『ですよねぇ……』
そうすると、出所は伏せたままで苗をノンヒュームに提供するしか無いが、
『まぁ、今のノンヒュームたちなら、余計な詮索はせずに受け容れてくれるじゃろうが』
『クロウの怪しさが際立つのは避けられないわね』
だったら他の果実にするかと言うと、梅以上にしっくり来るものが思い浮かばない。
これも一応ノンヒュームには知識として伝え、後は彼らに任せようという事になった。




