第二百五十七章 モルファン~王女留学を控えて~ 1.外務卿
「何だこの名簿は!?」
ここはモルファンの王城内。傍目……と言うか、傍耳も憚からぬ怒声が轟いているのは、外務卿の執務室である。
「貴様らは派遣軍でも編制するつもりか!?」
怒れる外務卿が手に持っているのは、留学する王女に付いてイラストリアへ赴く予定の人員名簿――その草案である。
……それが異様に分厚いのを見れば、外務卿の立腹の理由も判る。要は王女の随行員(予定)が過去最大級に――二百名を越える人数にまで膨れ上がったのである。
加賀藩主・前田氏の大名行列が二千~三千人であったというのはまぁ別として、彼のマリー・アントワネットの結婚の際に、オーストリアからフランスへ蹤き従ったという随行員の人数が百十七名と伝えられている。
非礼を顧みずに言えば、たかが第三王女の留学に随行する人員としては、大国モルファンの歴史を繙いても異例の大所帯であった。
――理由ははっきりしている。
イラストリアが……と言うより、そこに住まうノンヒュームが提供する酒と甘味に目の眩んだ亡者たちが、ワラワラと群がって来た結果である。
苟も外務の職にある者が、国益国策を蔑ろにして、私利私欲を優先させたというのだから、これは外務卿の立腹憤懣も当然である。
が――目下その激怒を向けられている補佐官の表情は小揺るぎもしない。このくらいは日常茶飯事――とまではいかないにせよ、これしきの事で取り乱すようでは、外務部の補佐官は務まらない。
冷静を保つ補佐官の姿を見て、外務卿も幾分か頭が冷えたらしい。
「……どうしてここまで人数が膨れ上がった? イラストリアを恫喝に行く訳ではないのだぞ? 大人数で押し掛けては、向こうの心証を悪くするばかりだろうが」
「それは飽くまで素案……と言うか希望者の名簿でして、謂わば最大人数を示すためにお見せしたものです」
――と言う補佐官を見て、どうやら最初に大人数となる実情を突き付けて、その後に減らす策であったらしいと見当を付ける外務卿。彼とてそれくらいの事を察せないではないが、それを別にしても人数が過大である。
「有力貴族家の嫡流が幾人か名告りを上げているため、護衛もそれなりに付ける必要がありました。それが人数を膨張させた一因です」
言われた外務卿が改めて名簿に目を落とすと、確かに有力貴族家の令息や縁者が名を連ねている。これらが全部、酒か甘味の亡者だと思うと、外務卿は頭が痛くなってきた。
「……高位貴族家の――要するに内政に口出しできる立場の者を随行させてどうする。酒と甘味で籠絡される恐れが無いとは言えんのだぞ? 弱みを増やすな。交渉の窓口は……窓口となり得るラインは一本化させろ」
外務卿の主張は理に適った――と言うか、外務として当然のものであったが、
「そう言われても……甘党も左党も遍くイラストリア行きを希望しておりますので」
――と言う補佐官の台詞が、遺憾ながら実情に即していた。
甘党と左党の双方が、挙ってイラストリア行きを希望しているのだから、外務卿の言うような〝籠絡されない〟者を探すのは困難であろう。
「……うん? こいつとこいつは? 別に甘党でも呑兵衛でもなかった筈だが?」
「甘党の母親や姉から命ぜられたそうです。断れなかったと言っていました」
冷徹に、身も蓋も無く斬り捨てた補佐官の台詞に、思わず天を――実際には天井を――仰ぐ外務卿。下心無き清廉の士はいないのか。
人員はこれから選抜する事になるだろうが、クレームと嘆願が凄まじい事になるだろう。それを考えると、今から頭と胃が痛くなる。
「まぁ……それ以外にも打開策が無い訳でも……」
「あるんならさっさと言え」
「まず、随行員の一部は野営させるという手も――」
「却下だ。次」
「では――二交代か三交代で随員を入れ替えるという手は如何で?」
「ふむ……」
人員の交代などでイラストリア側に手間をかける回数は増えるが、一度に対処すべき人数は減る事になる。どうやらこれが本命の策であったらしいと気付く外務卿。
「……イラストリア側には何と言って説明するつもりだ?」
「そこはもう、明け透けに実情を説明するしか無いのでは」
「……体裁が悪くなるのは避けられんか」
「国としてはともかく、国王府の努力と誠意は通じるのではないでしょうか? その分だけ貴族たちの評判は落ちるかもしれませんが……」
「そこまで国王府では面倒見きれんな。……いいだろう。カールシン卿に連絡を取って、その方針でイラストリア側に打診してみてくれ」




