第二百五十五章 ヴァザーリを巡って 4.ハラド助祭の思案/試案(その2)
「客がダラダラと長居するような店と言えば……やはり酒なんだろうが……」
ヴァザーリにも嘗てはテオドラムの酒場があった。情報の収集・工作という観点からは、あれは実に巧い手だと感心していたものだが、毒麦疑惑が持ち上がって以来、「テオドラムの麦」で造ったエールの信用が一気に下落――と言うか、もはや「墜落」――し、酒場も閑古鳥が啼くようになって、哀れ閉店の憂き目に遭っている。
尤も、テオドラムの酒や酒場が無くなっても、酒に対する欲求が消えた訳ではない。テオドラム産の麦の代わりに他の産地の麦を使ったエール醸造業者が復権し始め、それに釣られるようにワイン醸造業者も、そして無論酒屋も活動を再開していた。
のみならず、危機感を覚えているらしいヴァザーリの町当局も、密かにテオドラムの支援を受けて、新たなエールを試作しているという。
「しかし、所詮は『ヴァザーリ産』の酒だからな。旅人が手を出すかどうかは怪しいもんだ……いや……待てよ……?」
ノンヒュームに敵対したヴァザーリは、彼方此方で不評を買っている。ゆえに「ヴァザーリ産」の商品など手に取ってもらえるかどうかすら怪しいが、これが「他地域産」の商品ならどうか? そして、その「商品」が各地各国の「酒」であれば?
「……テオドラムが運営していたような『酒場』、あれをヤルタ教で経営できれば……面白い事になる」
幸いにしてヴァザーリは、沿岸国イスラファンの商都ヤシュリクにほど近い位置にある。各地各国の酒を入手して運び込む事は可能だろう。
「ヴァザーリが凋落しているというのも、商人が目を付ける口実になるか」
何しろ、他に競合する相手がいないのだ。博奕には違いないが勝算はあるし、当たれば儲けはデカいと期待できる。
とは言っても、いきなり「酒場」に手を出すのは冒険が過ぎる。最初は手堅く小売りの「酒屋」から始めるべきだろうが……それでも、
「……曲がりなりにもヴァザーリに拠点を構える事ができるし、商人の護衛という形でなら、うちの連中を連れ込むのも可能だし……恐らくは、ヴァザーリの冒険者ギルドの方からこちらに接触してくるだろう。……ごく自然な形で伝手を作る事ができる」
懸念があるとすれば、他所の酒を運び込む事が、地元での酒造りを目指している酒造家やヴァザーリ当局、延いてはその背後にいるテオドラムと競合する可能性だが……
「……その一方で、酒の需要を拡大する効果が期待できる。少し目端の利く者なら、強く反対する事はすまい」
無論、身許の偽装には充分な注意を払う必要がある。間違ってもヤルタ教絡みだなどと知られては拙い。
何しろヴァザーリの住人にとってヤルタ教は、自分たちを今のような境遇に追い込んだ元凶である。ヤルタ教にしてみれば理不尽な言い掛かりだが、追い詰められた人間など得てしてこういうものだ。
「まぁ……だからこそ逆に、ヤルタ教の手の者だとは思われない……か?」
過度の期待は禁物だが、目眩ましの一助くらいにはなるかもしれぬ。懸念があるとすればテオドラムだが、先程挙げたような〝酒の需要の掘り起こし〟ができるとあれば、騒ぎ立てるような真似はすまい。テオドラムとてヤルタ教と正面切って事を構えるのは――四面楚歌の現状に加えて、ヤルタ教まで敵に廻すのは――避ける筈だ。
「ふむ……叩き台としてはこんなものか。あとは上の連中が考えるだろう」




