第二百五十一章 新年祭(四日目) 7.ヴィンシュタット~テオドラム国内事情~
新年祭も四日目を迎えたこの日、テオドラムの王都ヴィンシュタットにある通称・「幽霊屋敷」は、珍しい客を迎えていた。誰あろう、ここの主人であるマナステラ貴族(笑)のカイト・オーガスティンとその親戚という触れ込みのアムドール・ソレイマン――こっちは正真正銘のマーカスの貴族。ただし今から二百年前の――及びその仲間たちの真の主である、他ならぬクロウその人である。
「随分と寛いだ様子だな、カイト」
「いやー……何つーか、久々の我が家って感じっすわ」
去年はハンスに同行して、半年以上も各地各国を巡っていたのだ。そういった感慨を抱くのも、宜なるかなというやつであろう。尤も……
「その実は敵陣の真っ直中――なんだけどね」
――という、マリアの指摘も間違いではない。少なくともクロウ陣営とノンヒューム、ついでに精霊たちにとっては、ここテオドラムは敵国以外の何物でもない。
「アムドールも大変だったようだな」
労るようなクロウの言葉に、アムドールとその従者であるイズマールの二人も、疲れたような苦笑を浮かべざるを得ない。
「カイトが駄々を捏ねたせいで、アムドールの旦那が貧乏籤を引く羽目になったんだろうが。ちったぁ反省しろや」
「あぁ? 下手に俺が行ってドジ踏むよりは良いだろうがよ? 適材適所ってやつだ」
「……それ、自分で言っちゃうんですか……」
「まぁ確かに、カイトなんぞに教会を廻らせたら、碌な事にならんのは目に見えてるか」
「しかもそのうちの一つは、あろう事かヤルタ教の教会だものねぇ……」
「絶対行っちゃいけませんよね、僕たち」
一頻りカイトたちが言い合うのを、苦笑して見ていたアムドールが、
「まぁ……元々の切っ掛けを作ったのは自分だし、自分が行くのが一番角が立たなかっただろうから」
――と、宥めてくれた事で、この件はそれまでという事になった。尤も、
「まぁ、疲れたのは事実ですが」
――と、一言云っておくのも忘れなかったが。
「それで、何か収獲はあったのか?」
アムドールが様々な宗派の宗教勢力と誼を通じているのは、これ偏に情報収集のためである。そのためにこそ、事ある毎に少なからぬ額のお布施を、各教会に寄進しているのだ。今回の教会巡りもその延長上にある以上、何を訊き込んできたのかと、クロウが関心を抱くのも当然であった。
そして、アムドールの答は――
「王都の民は、思ったより不安を感じてはいないようです。……自国を取り巻く状況が伝わっていないだけかもしれませんが」
何しろ去年のテオドラムは、贋金貨騒ぎに始まって、「シェイカー」による謂われの無い――註.テオドラム目線――非難、イラストリア国境にトレントと覚しき木立が出現、「誘いの湖」の出現、国による小麦の売り渋り……と、ややこしい事態が目白押しだったのだ。真っ当な神経を持つ国民なら、自国の行く末に不安を抱いても当然である。
にも拘わらず騒ぎになっていないという事は、情報が正しく伝わっていない可能性が濃厚である。
「ふむ……色々とあったにはあったが、国民生活に直接影響するような事は……あまり無かった……のか?」
「災厄の岩窟」や「誘いの湖」、シェイカーによる避難とイラストリア国境沿いの緑化……どれもこれも〝他国との国境付近〟での出来事であり、明確なテオドラム領内で起きたものではない。実感が湧かなくても、仕方ないのかもしれない。
「ただし各教会の司祭たちは、テオドラムを取り巻く状況についても、或る程度の事情を把握しているようでした。〝去年は大変だったが、今年こそは平穏でありたい〟――と言っていましたから」
アムドールが訊き込んできたところでは、贋金貨の件が少しばかり物議を醸したようだが、テオドラムが素早く〝新金貨はその品位に拘わらず、自国内では等しい価値を持つ〟と公示した事で、国民の不安は解消されたようだ。或る意味で不換貨幣の走りであるとも言える。
また、小麦の流通が絞られている件も、一時は話題になったようだ。ただしこの件に関しては、国民の不安を解消するためか、テオドラム側から説明があったという。曰く――〝万一の場合に備えるための備蓄に回している〟と。
「国民はそれで納得したのか?」
「一時は開戦の準備かと緊張した者もいたようですが、小麦以外の物資が動いていない事で、説明をそのまま受け容れる事にしたようです」
「テオドラムの説明に『誘いの湖』の事は?」
「さて……具体的には出なかったようですが、少なくとも各教会側は察知していました」
「ふむ……」
テオドラムの上層部が危惧しているのは、「誘いの湖」という巨大な水場ができた事であの辺りのネズミなどが大繁殖して、それらがテオドラム側の穀倉地帯に侵入する可能性である。
しかしながら実際の「誘いの湖」は、湖面の周りに湿地があり、更にその外側は岩海に囲まれている。水場があるのは確かだが、言ってしまえばそこにあるのは水場だけで、ネズミの餌場となるような場所はほぼ無いのである。
ゆえに、テオドラム側が懸念しているような大発生は起こりにくいのであるが……不幸にして巨岩が視界を塞いでいて、外からは中の様子が判らないのが災いして、上述のような杞憂を払拭できないのであった。
「あとは……外国からの輸入品が減って高くなったとの声が、一部であるようです」
「ふむ……?」
既に述べたように、マナステラのノンヒュームたちがテオドラムを、そしてテオドラムと取引のある商人を倦厭しているとの風評が立った事の影響なのであるが……そこまでの事情が判らないクロウは首を捻るのであった。




