第二百五十章 新年祭(三日目) 3.リーロット~赤豆談義~(その1)
「ふむ……これが『ゼンザイ』というやつか」
どうにか人数分買い込んだ善哉を味わって、口々にその感想を述べているのは、イスラファンはヤシュリクの商人たちである。前に視察員を送り込んでから、凡そ一年がかりでの試食と相成った訳だ。そしてその感想はと言えば……
「成る程……これは確かに〝甘い豆のシチュー〟としか言えんな」
「うむ、確かに」
――という、先に送り込んだ視察員の報告を是とするしか無いものであった。
意外に思えるかもしれないが実は、豆類を甘く味付けして食べる習慣は、アジア以外ではほぼ見られない。抑アズキ自体がアジアの原産であり、欧米では馴染みの無い食材である。それがためにか、実は小豆餡系の食物を苦手とする欧米人は少なくないという。
ただ、幸いにしてと言うべきかこちらの世界では、小豆餡系の菓子類は、甘味に飢えた者たちの心臓と胃袋を鷲掴みにしたようであるが……とは言え、類例の無かった食物であるだけに、報告者も形容に苦心したようである。
「それと……今年の新作だというこの『ラップケーキ』とやら、これに入っている……『アン』だったか? これもゼンザイと同系統のものであるようだな」
「あぁ。『ゼンザイ』よりは水分が少ないようだが、明らかに同類だ」
「うむ。ノンヒュームたちの間では、広く知られた食べ物なのかもしれん」
……合っているとも間違っているとも言いにくい問題である。
抑この「アズキ」、こちらで言う「赤豆」は、確かにノンヒュームたちの間では、マイナーながらも既知の食材――ただし人族にはほとんど知られていない――であったが、それを甘く味付けして食べるという習慣など無かった。それは日本人たるクロウが持ち込んだものだ。
抑それ以前に、甘いものを日常的に食べるという食習慣自体が、ノンヒュームたちには無かったのだ。甘い小豆餡など論外である。ただ……そういう実態は人族の間では知られていないし、ノンヒュームたちも敢えて周知させるような真似はしていないのであるが。
「この『ラップケーキ』だが……焼きたてのパンケーキの中に、アンというものを詰めて供しているのか……」
「有りそうで無かったな……こういう発想は……」
〝小麦粉の生地で餡を包んで焼く〟……ホルンたちが指摘したようにこの技法は、イラストリアのみならず近隣諸国でも知られていない調理法であった。パンケーキの上からソースをかける、或いは二枚のパンケーキで具を挟むという方法なら既に知られているのだが、生地の中にで餡を包み込むというのは、意外な事に知られていなかったようである。
それだけでもラージンたちには衝撃的であったのだが、
「……パンケーキを売る店なら他にもあるし、焼きたてという意味でならガレットもあるし、甘味というなら蜂蜜をかけて出す店だってあるかもしれん。しかし、それらの店と明確に一線を画しているのは、中に詰まっているこのアンだ」
「うむ。甘さ自体は寧ろ蜂蜜などより控え目かもしれんが、その分どっしりと口の中全体で味わう事ができて満足感がある」
「クリームとは違って粘りが無く、口の中でさらりと解れるのも面白いな」
「あぁ。ゼンザイだとその違いが能く判る」
ここで一齣トリビアを披露しておくと、餡というのは小豆や隠元豆のような澱粉質の多い豆でしか作れない。蛋白質や油分の多い大豆や落花生――別名ピーナッツ――ではペースト状になってしまい、餡の食感にはならないのである。
しからば「じんだ」――「ずんだ」とも――はどうなのか、あれは大豆で作るのではなかったかとの反論も出てこようが、あれは枝豆を使っている。詭弁のように聞こえるかもしれないが、実は餡の原料としてみた場合、「大豆」と「枝豆」は別物である。成長途上の大豆である枝豆では、まだ油分が少なく澱粉質の割合が高いので、「じんだ」が作れるという訳なのであった。
ともあれ――
「実はな……このゼンザイだが……原料に使われているという赤豆が手に入ったので、同じようなものは作れないか、試してみた事があるのだ」
イスラファン商人の一人が躊躇いがちに口にしたその台詞に、一同は思わず口を噤んで聴き耳を立てる。見れば傍にいる者たちも、お喋りを止めて耳を澄ましているようだ。
「……どうだったのだ?」
「あぁ……その当時はまだ『ゼンザイ』がどんなものかは判っていなかったが……原料が赤豆らしい事と甘いという事、汁物だという事だけは判っていた。なので……単純に砂糖を加えて煮てみたんだが……」
――ゴクリとどこかで生唾を呑み込んだ音がした。
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