第二百四十六章 シュレクをめぐって 6.モルヴァニア(その2)
「向こうが言うには、〝出所を詮索しない、テオドラムに流さない、取引できる量は多くない。これらの条件を呑むのなら、精製塩を提供する用意がある〟――との事だ」
「ふぅむ……」
――モルヴァニアの国務卿たちが、うち揃って難しい顔で考え込むのも道理であった。
話自体は民間レベルのものだが、話を持って来た相手が違う。このところ何かと話題に上っている、あのシュレクなのだ。しかも……
「……話を持ち掛けた村人とやらは、密偵の正体に気付いているとみるべきだろうな」
「以前からそういう兆候はあったようだしな」
「そうすると、これは……シュレクがテオドラムから離反するというメッセージなのか?」
「そうとしか考えられんだろう」
――違う。
原因となった塩を提供したのはクロウだし、取引相手が――テオドラムでない以上は自明の事だが――モルヴァニアかヴォルダバンの行商人になるだろう事も気付いていた。ただしクロウの認識では、その取引は飽くまで民間レベルのものに留まる筈で、国を巻き込む事までは考えていなかったのである。
次に、ダンジョン村の村人であるが……塩を取引材料として他所から行商人を呼び込む事には両手を挙げて賛同したが、それは飽くまで民間レベルの取引だろうと――クロウと同様に――思っていた。
それに何より、自分たちには適当な行商人の心当たりが無い。なぜか他国の吟遊詩人たちが時折やって来るようになったし、彼らとの間で小規模な物々交換は行なっているが……それが塩の取引に発展するとは思えない。なのでここは、心当たりがあるという近在の村に任せるのが一番――と、考えていた。
最後に、折衝を請け負った村当局であるが……塩の出所については何も考えない事にしたようだ。自分たちの役目は行商人の誘致のみ――と割り切って、〝心当たりの冒険者〟に話を持ちかけたらしい。
無論、その〝冒険者〟が見かけどおりの者でない事ぐらいは、村の者たちも薄々勘付いている。恐らくは国境の向こう側に陣取っているという、モルヴァニアの監視砦の密偵だろう。だが――それが一体何だと言うのだ。
モルヴァニアの密偵に話を振れば、この件は恐らくモルヴァニアの知るところとなる。知るところとなりはするだろうが、仮にも一国モルヴァニアが、隣国の小村にちょっかいをかけてくるとは思えない。その意味ではテオドラムよりよほど安全だろう。
また、この件に関して寄越される〝行商人〟とやらも、大なり小なりモルヴァニアの息のかかった者に違い無い。ならば身許は保証されたも同然だ。このところやって来た商人はこすっからい連中ばかりだったが、国が肝煎りで寄越す商人なら、取引を誤魔化すようなあくどい真似はしないだろう……と、考えていた。
三者三様、同床異夢を絵に描いたような話であり、互いの意思疎通は極めて不完全なのだが……話を振られたモルヴァニアの方は、これが一貫した目論見の下に為されていると誤解している。……話が噛み合わなくなってくるのも当然であった。
「吟遊詩人の連中が触れ廻っておるせいで、我が国にも彼の地の事を知る者は多い。……という事はつまり、彼の地に目を向けておる者も多いという事だ。ここで滅多な不手際は晒せぬ」
「確かにな。彼の地の者が向こうから伝手を求めて来たのだ。軽々しく振り払う訳にはいかん」
シュレクのダンジョン村におけるテオドラム兵の暴虐と、それに立ち向かって村の者たちを守ったダンジョンの義勇は、吟遊詩人たちにとって恰好のネタであったらしい。モルヴァニアは素よりマナステラやマーカス、最近ではヴォルダバンからも、吟遊詩人たちが取材のためにシュレクを訪れている。
そして、吟遊詩人経由でシュレクの窮状とテオドラムの暴虐を知った各国の国民は、打ち揃って義憤に駆られたのである。
――テオドラムとダンジョンという組み合わせがまた絶妙であった。
片や各国から警戒と反感を買っているテオドラム、その相手役を務めるのは、このところ何かと話題に上る事の多い「ダンジョン」である。
国際的な物議を醸した「災厄の岩窟」を筆頭に、近付く者を全て呑み込むと怖れられる「ピット」、幾人もの勇者たちを返り討ちにした一方で、迷い込んだ子供を無傷で帰した事でも名を売った「双子のダンジョン」、更には三百年の長きに亘ってマナステラに君臨しているという「百魔の洞窟」など、著名なダンジョンは枚挙に暇が無い。
そのような中にあって「怨毒の廃坑」は、支配下に置いた村を手厚く保護しているという異色のダンジョンであると聞く。何でも、村の者たちを陥れた奴隷商人を攫って来て、村の者たちの目の前で処刑した事もあるという。それだけ聞いても――ダンジョンに対する形容ではないと思うが――義に厚いダンジョンに思える。
そのような評判もあってか、〝仮想敵国テオドラムに喧嘩を売っているダンジョンが支援する村なら、敵の敵は味方である〟――という、或る意味で妙な親近感が、シュレクに対しては抱かれていたのである。
シュレクのダンジョン村も、そしてクロウも知らぬところで、彼らの評判は上がっていたのであった。――関係各国が無視できぬほどに。




