第二百四十六章 シュレクをめぐって 5.モルヴァニア(その1)
「シュレクが……?」
「正確にはシュレクの近くの村が――だ。まぁ、場所からしてシュレクが無関係だとも思えんが」
モルヴァニア王城内の一室で額を寄せ集めて密談しているのは、この国の国務卿たちである。剣呑な隣国テオドラムの動向を監視しているカービッド将軍から、思いがけない情報がもたらされたのだ。
「……冒険者を装ってシュレク付近を探らせていた密偵が――か」
「あぁ。近くの村人から妙な話を持ち掛けられた。物々交換という形で、生活必需品や日用品を取引してくれそうな行商人を知らないか――とな」
「しかも、その交換物というのが……」
「精製済みの塩だというのだからな。我が国にとっては聞き逃せぬ話だろう?」
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内陸に位置するモルヴァニアにとって、塩の入手は国民や国家の生存に関わる重大案件である。生憎と自国内に岩塩は産しないため、入手は専ら沿岸国からの輸入に頼っている。
隣国テオドラムには岩塩坑があるのだが、テオドラムとの仲があまり宜しくないため、元から取引は低調であった。しかも近頃では、テオドラムがひた隠しにしていた砒素汚染の話が広まったため、その影響でテオドラム産の岩塩までもが敬遠されるようになっていた。
そんなモルヴァニアに、民間レベルとは言え塩取引の話が持ち掛けられたのには少々込み入った……と言うか、曲折した事情があった。発端となったのは勿論クロウである。
シュレク近辺における物流停滞の現状を聞いたクロウは、責任の一端は自分にもあると自覚していたため、打開策を講じる事にした。ダンジョン村から物々交換許可の嘆願が上がってきたのを好機とばかりに、行商人を誘致するための取引材料を提供する事にしたのである。
それが塩になったのは、一つにはクロウの支配下にある「船喰み島」でなら、ダンジョンロードの権能を使えば、海水からの塩精製は容易だという事情があった。
これに加えてクロウの心中では、「怨毒の廃坑」は元々鉄鉱山だし、テオドラムには岩塩の鉱脈もあるのだから、「廃坑」から塩が産出しても不自然ではない――と言うか、ごり押しできる――だろうとの目算があった。……眷属たちは相当に懐疑的であったが。
ともあれ、そういった事情でクロウから精製塩の提供を受けたダンジョン村の村人たちは、甚く感謝し恐縮しつつも、周辺の村々と物流網の構築について相談した。
折角塩という目玉商品があるのだから、これを餌にして行商人を呼び込むのがよかろう……というところまではスムーズに纏まったのだが、問題となったのは〝どこから行商人を呼ぶか〟である。
塩の専売制を取っているテオドラムにこの件が漏れたりしたら、軍勢を率いて掠奪に来てもおかしくない。前回は「ダンジョン様のお遣わしめ」に手酷くやられているのだから、次回の派兵は大規模なものとなるだろう事は想像に難くない。迎え撃つダンジョン様の手勢もそれ相応なもの――例えばドラゴン――になるだろうから、大規模な戦乱が発生するのは間違い無い。……それは避けたい。
となると……テオドラム以外のところから、行商人を呼び込む必要がある。それも、テオドラムに察知される危険を冒さぬよう、テオドラムの領内を通らずに。
シュレクの位置に鑑みれば、モルヴァニアとの国境を越えて(密)入国して来るルートが最も現実的である。実際に、過去にはそのルートでやって来た行商人もいた。まぁ、隣国モルヴァニアとの仲は微妙なため、表向きは「ヴォルダバンの行商人」という事になっていたが。
村の一つが〝心当たりがある〟というので一任したが……どうやら件の村の〝心当たり〟というのは、偶に偵察にやって来る、冒険者に扮したモルヴァニアの密偵の事であったらしい。




