第二百四十五章 イスラファン鈍刀乱麻 13.モルファン外務部(その2)【地図あり】
そんなモルファンのダンジョン事情は、他国とは少しばかり趣を異にしていた。
最初に断っておくと、ダンジョンそれ自体はモルファンにも存在している。いや、憖その国土が広大なだけあって、それなり以上のダンジョンを擁しているのだが……
まず、北方の平原部にあるダンジョンであるが……これらは冬場の野生動物の避寒地のようになっているものが多いため、資源管理の観点からも迂闊に討伐できないという事情があった。
ダンジョンが野生動物の避寒地として機能しているというのは珍しいかもしれないが、ダンジョンにとってみれば、魔素や栄養素を供給してくれるのであれば、魔獣も野獣も大した違いは無い。栄養供給の不如意となる冬場に、群れでダンジョン内に滞在してくれる野生動物は、それらの供給源として無視できない価値を持っていた。
故に、ダンジョンもこれら野生動物の群れを――狩るのではなく――保護する方向に進化したのだと見られている。
次に国土の東側であるが……実はここにはドラゴンの棲息域があった。
生まれたてのダンジョンコアはドラゴンの餌として狙われる上に、偶さか起きるスタンピードもドラゴンに餌を供給するだけに終わり、被害らしい被害が発生しない。加えてモルファンの冒険者たちも、素材として優秀なドラゴンに目が行きがちという事もあって……要するに、この界隈のダンジョン情勢は不明な点が多かった。
南東部にはイラストリアとの国境を成す「神々の東回廊」が聳え立っており、ここにもダンジョンがあるのだが……ただでさえ山脈が険しい上に、イラストリアと揉める事を嫌ったモルファンが山地への侵入を抑えているため、ここのダンジョン事情も能く判っていない。
そして――王都モルトランの南に広がる「大湿地」にもダンジョンはあるのだが……ここは立地条件が劣悪な上に、素材としての旨味の少ないモンスターしか出ないため、冒険者たちから敬遠される状況にあった。
結果としてモルファンにとっては、〝ダンジョン素材は他所から買うものであって採集するものではない〟――というのが共通認識となっていたのである。
故に、国務卿たちもダンジョンの事はついつい失念しがちなのであったが……この日は些か事情が違っていたようだ。
「……イスラファンとアムルファンの件で気が付いたのだが……我が国の国境付近にあるダンジョンが、隣国に迷惑を掛けている可能性は無いのか?」
外務部のお偉いさんが唐突に発した質問に、部下の方だって戸惑わざるを得ない。上司が言いたいのはスタンピードの事なのだろうが……
「少なくとも、隣国から苦情は来ていません」
どこか頓珍漢な会話のような気もするが、部下としてはそう答えるより無い。
実際問題として、スタンピードの巻き添えを喰らうほど指呼の間にあるというなら、平時にはそのダンジョンの恩恵を――冒険者が狩って来る素材という形で――受けている筈で、それを棚に上げていちゃもんを付けると藪蛇になりかねない。そんな危険を冒す愚か者はいないという事なのだろう。
それ以前に抑の話として、国境間際に存在するダンジョンというのは聞いた事が無い。――「岩窟」? あれは例外中の例外です。
「抑イスラファンとの国境沿いで、ダンジョンは確認されていませんし」
「国境の東部は山脈だしな」
「えぇ。イスラファンとの国境の東半分からイラストリアとの国境は、ノーランドのある辺りを除いて、険しい山脈によって隔てられています」
そんな山脈を越えてスタンピードの被害が拡大するとは考えにくい。
「どちらかと言うと、問題なのはダンジョンよりもドラゴンでしょう」
高空を自在に飛び廻り、人間が設定した国境は疎か山脈まで無視して越境するドラゴンは、単体でも小さなスタンピードに匹敵する破壊力を秘めている。確かにこちらの方が問題だろう。
ただ、ドラゴンが厄介なのはモルファンにとっても同じであって、
「……そっちは我々の手には負えん。自然災害と思って、諦めてもらうしか無いな」
上司も部下も複雑な表情になるのを禁じ得ない。
だが、その「ドラゴン」というキーワードは、上司の海馬――大脳辺縁系の記憶領域――を刺戟したらしい。
「そう言えば……イラストリアでドラゴン絡みの何かがありはしなかったか?」
――奇怪な咆吼と共に行方を絶ったドラゴンとか、それと相前後して現れたクリスタルスケルトンドラゴンとか。
「この際だ、イラストリアに関わる事は何であれ再調査した方が良いかもしれんな」




