第二百四十四章 クロウ~日本暦一月一日~ 4.ボルトン工房(その1)
パートリッジ卿相手に好き放題に吹いた事で少しスッキリしたクロウは、今度はその足でボルトン工房へと向かうべく、パートリッジ邸を後にしていた。
立ち去るクロウの背後で、難題を押し付けられた形のパートリッジ卿が恨めしそうな視線を送っていたような気もするが……そっちは貴族が頑張ってほしい。しがない旅絵師にどうこうできる事ではないのだから。
(さて……あとは挨拶がてら、御前の仰った話をそれとなくボルトン親方に伝えて……)
金箔付きの騒ぎのネタについては伏せておくとしても、古代遺跡の発掘については、それなりに噂に上っているようだ。何しろ嘗て煌びやかなお宝が出土した事で、一世を風靡したシャルドの古代遺跡である。ネームバリューは抜群だ。国が威信を賭けて――かどうかは判らないが、噂ではそういう事になっている――そこを再発掘すると言うのだから、世人の興味を引かない訳が無い。
クロウがバンクスを訪れたのを好い機会に、発掘現場のスケッチを提案するというのは、絵師としてもおかしな振る舞いではないだろう。工房の方で不要と判断したら、それはそれでクロウが楽をするだけだ。
そんな気楽な考えでボルトン工房に足を向けたクロウであったが……神ならぬ身のクロウの誤算は、選りに選ってその前日に、カールシン卿がボルトン工房を訪れていた事、そしてそれを知らなかった事だろう。
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互いに久闊を叙しあった後で、クロウはパートリッジ卿からもたらされた提案をボルトン親方に伝える。大元はイラストリア王国からの話なのであるが、それは素よりパートリッジ卿からの話だとしてもおかしな事になるので、飽くまでクロウからの発案という形にしてある。……が、ボルトンは何か勘付いたようだ。
まぁ、日頃からあまり画業に熱心でないクロウが、工房にやって来るなりこんな話を持ちかけたのだ。それも、現在進行中の事件か何かを絵に残そうというならともかく、何の変哲もない発掘現場、しかも今は雪で発掘は中断している。いや、封印遺跡の方も同じ冬景色を絵にしてはいるのだが、あちらはそれ以前から話題性があって、その需要に便乗した形であった。現状そこまでの話題が無い古代遺跡と同列に論じるのは違和感がある。
況して二年ほど前には、封印遺跡の雪景色をクロウが描いたのと相前後して、その封印遺跡の内部を描いた版画が王国から売り出されたのだ。今回クロウが持ち込んだ古代遺跡の冬景色の件は、丁度その一件をなぞったような形になっている。関連性を疑わない方が難しいであろう。
まぁそれでも、ボルトンは深く追及せずにいてくれたので、クロウも何食わぬ顔をして話を終えたのだが。
「てぇと……雪景色の方はこの冬にも描くって事でいいとして、雪融け後のスケッチってぇのは? 雪が融けて作業が再開されるのは三月……それも終わり頃になると思うんだが、その頃までバンクスへ居なさるのかぃ?」
「いえ、今のところそれは考えていませんね。あまり長居はできないと思いますから」
「あぁ……成る程なぁ」
〝長居できない〟理由についてはクロウは何も言わなかった――馬鹿正直に、〝ダンジョンマスターとしての仕事が忙しいから〟などと言える訳が無い――が、クロウがエッジ村に居を構えている事を承知しているボルトンは、そっち絡みで色々とあるのだろうと考えてくれたようだ。……まぁ、確かにその可能性も低くはないのが、クロウとしても悩ましいところである。
いや、ホルベック卿夫人からこれ以上の無茶振りは来ないと思うが、どこをどう巡ってどんな依頼が舞い込んで来ないとも限らないのが今のエッジ村である。警戒しておくに越した事は無い。
「……まぁ、こっちにも色々と事情がありまして……」
――確かに、クロウほど〝色々な事情〟とやらに雁字搦めとなっているダンジョンマスターもいないであろう。
「……なので一旦村に戻った後、頃合いを見てこちらへやって来るか、それとも完全に雪が融けきる前にスケッチを行なうか……今のところはまだ決まっていません。自分としては前者が望ましいんですが、先々の状況を見て――というところですね」
とりあえず冬景色のスケッチだけはしておきたいというクロウの提案に、ボルトンも頷いて同意を表する。今は雪で発掘が中断されているから、スケッチするにも面倒が無い。冬なら滞在客も少ないはず……というのがクロウの狙いであったが――




