第二百四十三章 ボルトン工房 2.カールシン卿vsミケル 個人情報攻防戦(その2)
「彼の御仁にご依頼があるとの仰せなら、一応承るだけはいたしますが……お伝えできるかどうかは確言いたしかねます」
「むぅ……」
「それと――単に無聊の慰みにとのお考えなら、工房としてはお受けする事はできかねます。何しろ彼の御仁は――仔細は申し上げかねますが――然るべき筋からご紹介して戴いたお方ですので」
「うむ……」
クロウの手になる遺跡内部の(見事な)スケッチ。それがシャルドで売られている事からも、画家はイラストリア王国の依頼を受けて原画を描いたのは明らかである。故に、ミケルの言う〝然るべき筋からの紹介〟という発言には重みがあった。
まぁ、実際にクロウを工房に引き合わせたのはルパとパートリッジ卿なのだが、こっちはこっちでイラストリア貴族の令息とマナステラの貴族である。〝然るべき筋〟には違い無い。
思いがけぬ追及を受けて守勢に廻ったカールシン卿であったが、反撃の糸口を掴まんものと、ここで手札を一枚晒す。
「いや何……既に知っているかとも思うが、来年、我が国の王女殿下がこちらへお見えになる。その時の様子を絵に残してもらえぬかと思ってな」
カールシン卿がちらつかせた仕事の依頼に食い付きそうになるボルトン。それを冷静に制して、
「それは、お国からのご依頼と受け取って宜しいのでしょうか?」
「いや……まだ、そこまでは……」
〝絵師に話を通すにしても、その点がはっきりしないと伝えかねます〟――と、相変わらず柔やかな笑みを浮かべたまま、しかし反撃の手は一切緩めないミケルに、カールシン卿も些かタジタジとなる。
正式な依頼も何も、ボルトンから譲歩を引き出すためだけに、この場で思い付いたでっち上げだ。国に話が通ってなどいない。即興で思い付いたにしては、我ながら悪くないアイデアだとは思うが、祖国に話を持ち込んでも、許可が下りるのは確実に来年。下手をすると留学の直前なんて事もあり得る。この場で即答などできるものではない。
「それでは、お国の方針が固まり次第、言伝だけはお受けしますね。尤も、伝えられるかどうかは確約いたしかねますが」
――と、にっこり笑って言われてしまえば、カールシン卿もそれ以上の交渉は難しい。礼を述べてボルトン工房を後にするしか無いのであった。
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すごすごとボルトン工房を後にしたカールシン卿であったが、それでも収穫が――版画以外に――無かった訳ではない。
「……件の画家はかなりな重要人物のようだな」
誰に言うともなく呟いたカールシン卿を、従者であるニコフがチラリと眺めたが……特に自分に応答を望んでいる訳ではなく、自分の考えを口に出して纏めているだけだと見て取って、礼儀正しく沈黙を守った。
「……シャルドで画家の正体を探り出せなかったのはまだしも、町の工房に至るまでも、緘黙の指示が徹底しているようだ。余程に身柄を秘したいものと見える」
……その事実に間違いは無いが、ボルトン工房が沈黙を守った理由は飽くまでクロウ個人への忖度というプライヴェートな理由からである。王国の思惑などというポリティカルなものではない。
「……だとすると、この町でこれ以上画家殿の事を詮索するのは下策だな。下手に動いては藪蛇になる虞がある。……調べるにしても自分ではなく、本国の方で動くべきだな……」
――斯くして、紆余曲折と暗闘の果てにではあったが、クロウの正体を探ろうとする動きは、表面化する事無くその芽を摘まれた。
日本時間で元日、イラストリアの暦で新年祭の三日前の事であった。




