第二百四十二章 善人(?)たちの夜 6.風発する談論~遺跡昆虫学事始め?
食後、第二ラウンドの会場は客間へと移った。
幸いにして、クロウが密かに懸念していたような「迷姫」リスベット嬢の参戦は無かった。どうやら子供であるリスベット嬢は、母親と共に食事のみの参加であったらしい。そこはかとない不安と危機感を抱いていたクロウとしては一安心である。
会場が客間へと移ったせいなのか、この場では酒と煙草が解禁となったが、ルパが密かに耳打ちしてくれたところでは、度を過ごすのはやはり御法度らしい。この辺りは慣習というよりマナーの範囲のようだが。
そんなクロウとルパの二人が話しているのは、先刻も会食の席上で話題に上った、土器に遺された圧痕の事であった。
「貯穀害虫?」
「あぁ、まぁ最初から貯穀害虫と決めてかかるのも問題があるが、要は圧痕の主が野外の昆虫だとは限らんって事だな」
「ふぅん……もう少し詳しく説明してくれないか? クロウ」
興味津々といった面持ちで話の続きをせがむルパに、クロウは大学時代に友人から聞いた話を解説していく。
「まぁ、俺はその土器の実物を見た事が無いから断定はできんが……俺たちが今使っている陶磁器ってのは、それ用の粘土を使って焼いたものだろう? 少なくとも、そこらの表土をそのまま焼き固めたもんじゃない」
「うん……問題は土器に使われた土の種類か? ……土の中にいた虫が、そのまま混ざったものじゃないと?」
「お前も虫屋の端くれなら解るだろう? 大抵の虫がいるのは、そこまで地中深くじゃない。どっちかと言えば浅い部分の表土、それも腐植土って言われる部分に多い」
「……確かに」
「ところがだ、少なくとも今の陶磁器の場合、腐植土で焼き物を焼いたって話は聞いた事が無い。寧ろ、落ち葉とか腐植が混じってない土を使うのが普通だな」
「うん……」
ルパの方はそこまで考えていなかったらしいが、クロウの説明を聞くに及んで、議論の妥当性に気が付いたようだ。
「つまり……圧痕を遺した昆虫の種が特定できれば、それを焼いた土の種類も判る、延いては当時の作陶技術も判ると?」
「それ以前に、専門家なら見ただけで原土の見当が付くかもしれんがな」
「う~ん……」
「で――問題はその土器が、表土でない土で焼かれていた場合だ。土器に圧痕を遺した虫は、一体どこからやって来たのかって事になる」
「うん……」
「土器の原料になる胎土ってのは、練る前だか後だかに暫く寝かしておく必要があった筈だ。その時に虫が付着したんだとすると、取り込んだ虫は土器の中に練り込まれる事になる。……圧痕はどんな様子で遺ってたんだ? 土器の内部に虫体が潜り込んでた感じか?」
クロウの問いかけに、ルパは少しだけ考えていたが、やがて頭を振って否定する。
「いや……小さいが、表面にはっきりと遺っていた。虫の背面側だ」
「練り込まれたって感じじゃないな……成形後、乾かしていた時に土器表面に止まった虫がそのままくっ付いたってんなら、表面に遺された圧痕は腹面側になりそうだし……あれか? 土器を作ろうとして胎土を据え置いた時に、土台にいた虫を下敷きにしたか?」
「成る程……そのまま手捻りで粘土を成型していったんなら、土台の部分はあまり弄くられなかった可能性が……あるのかな?」
「知らん。おれだって土器の作り方なんか詳しくないからな。ただ……どっちにしろだ、その時その土器が置かれていた場所には、その虫がいたって事になる。恐らくはそれなりの数で――な」
「う~ん……」
土器に遺された昆虫の種類から、当時の生活環境を推し量ろうという考え方は、ルパにとっては衝撃的とも言えるものであった。以前にクロウから話を聞いた時には、単に話のついでに触れただけで、ここまで踏み込んだ解説は無かったのだ。
「で――居住空間の周辺で、どんな場所にどんな虫が集まるのかを考えたら……」
「……疑わしいのは圃場にいる作物害虫などよりも、寧ろ貯穀害虫か生活害虫の可能性が高くなる……成る程」
「更に――だ。もしも貯穀害虫だった場合、その種類から……」
「……蓄えられていた穀物の種類を類推する可能性が出て来るか……」
こうなると、問題の圧痕の主を種特定する事の重要性がクローズアップされてくる。
「対照用の標本を集める必要がある訳か……」
「そういう事だな」




