第二百三十六章 歓迎パーティの夜 2.ワインと次の矢
辛い――甘味が少なくて度数が強いのである。
モルファンの国土はこの大陸の北端に位置し、そのため気候は冷涼を通り越して寒冷である。冷え切った身体を温めるためには度数の強い酒が必需品であり、国民の好みもそれを求めた。すなわち辛口の酒である。
ただ、アルコール度数の高い辛口の酒とは、要するに酵母が糖質を余すところ無く使い切った結果の産物であり、言い換えると酵母が存分に働く事を前提としている。そしてそのためには、酵母が活溌に働けるだけの温度というものが必要であり……それこそが北国モルファンでは難しい条件であった。冷涼もしくは寒冷な気候が災いして酵母の活動が抑制されるため、果汁中の糖分が酵母に消費されずに残り、度数が低く甘口のワインができるのである。
こういう甘口のワインには調味料としての需要もあるため、これはこれでそれなりの量が流通していたが、モルファン国民が呑むためのワインとして希求しているのは、飽くまで辛口のワインである。
そんなモルファンの国民が辛口のワインを得るためには、加温醸造の設備を整えるか、もしくはより暖かい他国からの輸入品に頼るという事になる。
モルファンの酒貿易事情についてここでこれ以上踏み込むのは止めておくが、ともかくそんな事情を慮ってなのか、イラストリアがパーティの開幕に出したのは、キリッとした辛口の酒であった。
それも、貴族の出であるカールシン卿としても、これまで口にした事の無い味わいの。
「一応は古酒も用意してはありますが、モルファンのお方にはこちらの方が馴染みが深いかと思いまして」
「いや……お心遣いに感謝します」
あまり交流が無かったという割には、この国は祖国の事情に通じているらしい。カールシン卿は内心で舌を巻いていたが……実はこの辛口のワイン、クロウからモルファンの酒事情について入れ知恵された連絡会議が、ドワーフ向けに試作していたものを提供したという経緯があった。
これもクロウの教唆によるのだが、原酒に白砂糖を加えて糖質の割合を高めた上で、加温と保温によって酵母の発酵作用を促進したのである。結果としてアルコール度数の高い辛口のワインが出来上がり、これはこれでドワーフ向けに売れるのではないか――と相談していたところにモルファン特使の歓迎パーティの話が持ち上がり、先にこちらに出して反応を見ようという次第に相成ったのであった。
思わず唸らされた辛口のワインが、実はノンヒュームによる試作品だと知ったら、カールシン卿の感嘆と困惑は更に深まったであろうが、幸か不幸かイラストリア側もそこまで明かす事は無く、カールシン卿の心の平穏は――この時までは――保たれたのである。
……と言うか――カールシン卿の心の平穏を破るのは、別のものに任されたらしい。
「実は……モルファンの特使であられるカールシン卿に、是非試して戴きたいものがございましてな。ノンヒュームからの依頼になりますが」
「ほほぉ……承りましょう」
饗応役を任されたらしいルボワ内務卿からの意味ありげな提案――ノンヒュームからの依頼だと!?――に、(表面上は)落ち着いて柔やかに応じるカールシン卿。その返事を確認したルボワ卿は、カールシン卿を会場の一角に誘った。そこにはマルシング外務卿が待ち構えていたが、ルボワ卿からの視線を受けてカップを取り上げると、妙な手付きで何かの用意を始める。
「ノンヒュームが試作中の飲み物だそうでして、彼らはボラと呼んでおりました。お心当たりは?」
「ボラ……いえ、不勉強にして初めて聞きましたが」
「ふむ……実は、モルファンの方々がおいでになるというので、我が国でも形ばかりの持て成しをさせて戴きたいと考えまして、ノンヒュームの菓子店に相談したところ、丁度試作中だというこれを教えられましてな」
「ほほぉ……試作中……」
――という事はつまり、未だ市井に流れていない品という事だ。それを態々自分に……モルファンの特使たるこの自分に供するという事は……
「ただ――彼らノンヒュームにしても初めて手がける食材であるそうで。仕上がりに間違いの無い事は請け負うそうですが、人間たちに受けるかどうかが未知数であるとして、我が国に試飲を依頼してきた訳です」
「ほおぉ……」
「国王をはじめとする者たちで味わいを確かめ、これなら大丈夫と太鼓判を押したのですが……日頃から舶来品に馴染んでおられるモルファンの方々には、ひょっとして珍しくもない品なのかもしれず……」
「それで、この自分に確かめてほしいと」
「如何でしょう。お願いできましょうか?」




