第二百三十五章 バンクスを目指す者たち~発・エルギン~ 3.商人ラスコー~エルギンへ~【地図あり】
――とまぁ、斯くの如き思惑から、ラスコーはイラストリアへ足を伸ばした訳であるが……地理に明るい方々であれば、ここで不審の念を抱かれるであろう。
ダールとクルシャンクの二人がイラストリアからアバンまで辿り着くのに、途中あれこれと情報収集に励んだ事を割り引いても、優に四ヵ月はかかっている。翻って、ラスコーがこの件を耳にしたのは先月の終盤。二十日足らずでどうやってイラストリアへやって来られた?
ここでダールとクルシャンクの艱難辛苦道中記の事をご存知の読者であれば、ははぁと思い当たる節がおありだろう。――そう、飛竜便である。
情報は鮮度が命と弁えているラスコーは、この件は大急ぎで検証すべきであると判断したが……ここでラスコーは再び難しい判断を迫られる羽目になった。
(……ヴォルダバンからイラストリアへ行くとなると、馬車を乗り継いでも一月はかかる。更にイラストリア国内での移動を考えると、最低でもあと一月は欲しい。となると……あの二人組がイラストリアへ帰り着くのは……)
馬車を乗り継いでも一~二ヵ月はかかりそうだ。徒歩を入れればそれ以上である。
しかし一方で、あの二人が飛竜を使って急いだとすれば、日程は半月ほどに短縮できるだろう。そして、あの二人がイラストリアの有力者の意を受けて動いていたと考えるなら、こちらを選ぶ可能性も低いとは言えない。
暫し悩んだラスコーであったが、ここは多少の出費を覚悟しても急いだ方が良いと決断した。仮に早く着き過ぎたとしても、イラストリアでならノンヒューム絡みの人脈を作る事もできよう。無駄に時間を費やす事にはならない筈だ。
そう判断したラスコーはその足で……サガンの商業ギルドへと急いだ。
ここで少しばかり舞台裏の事情を説明しておくと……このところ沿岸国の商業ギルドでは隙間風が目立つようになっていた。理由はイスラファン商業ギルドの勇み足である。
暴走気味のイスラファン商業ギルド――より正確にはザイフェルを中心とする一派――の煽りに乗ったばかりに、沿岸国の商業ギルド連合はイラストリアからの好感度を下げる羽目に陥っていた。彼らが大本命と見做すノンヒュームは幸いに静観の構えを取っているが、ノンヒューム連絡会議事務局の家主たるイラストリア王国の機嫌を損ねて良い訳が無い。しかもその後、イラストリアからの打診を断ったばかりに、ノンヒュームが海中から引き揚げたという陶磁器を入手し損ねる羽目になっていた。今にして思えば、あの時に陶磁器買い入れの手を打っておけば、ささやかながらもノンヒュームとの伝手を築く一助となった筈だ。しかもその後の噂によると、件の陶磁器は何れ劣らぬ逸品ぞろいであったと聞く。二重の意味で大魚を逃したようなものではないか。それもこれもイスラファンが悪い……と、陶磁器の件に関しては責任転嫁のような気もするが、アムルファンやヴォルダバンの商業ギルドは少なからず機嫌を損ねていたのであった。
しかも悪い事に、イラストリアと国境を接して直通の交通ルートを持っているのが、そのイスラファンなのである。直通ルートを抱えるイスラファンであれば、イラストリアとの関係改善も難しくはないだろうが、遠く離れたアムルファンやヴォルダバンにそれは難しい。こうなると、一連の事態はイスラファンによるアムルファンとヴォルダバン排除の悪謀――という風にも見えてくるではないか。
――と、そういう雰囲気が燻っているところへ、事情を全て弁えたラスコーが、〝イラストリアでノンヒュームたちとの伝手を築きたいので、ギルドの飛竜便に便乗させてほしい〟という話を持ち込んできたのであった。
何やら自分なりの思惑があるようだが、ラスコーと言えば沿岸国の商業ギルドでも名うての人誑し……いや、交渉上手である。それがイラストリアへ出向いてノンヒュームとの関係改善に動いてくれるというなら、これはさせておいた方がありがたいに決まっている。いや、情報を集めてくれるだけでも御の字ではないか。飛竜便への便乗ぐらいなら安いものだ。
両者の思惑が一致した事で、ラスコーはギルドの定期飛竜便に便乗して旅程を短縮する事ができた。
サガンからヤシュリクまで飛竜便で六日。ヤシュリクからヴァザーリ、ヴァザーリからサウランドまでは自腹の飛竜便でそれぞれ一日と二日。サウランドからシアカスターまでは、再び商業ギルドの飛竜便に便乗できて一日。シアカスターの町で軽く情報収集した後は、高速馬車を飛ばして二日でバンクスに到着。ここで幸いにも飛竜の臨時便をつかまえる事ができて、エルギンまで一日……計二週間で、ラスコーはエルギンの町に到着する事ができたのである。
ラスコーの第一目的は〝何やら怪しげなところのある軽銀の工芸品〟に関わる情報を集める事であったが、ノンヒュームとの間に伝手を作るというのも、それに劣らず重要な目標である。何しろイラストリアやノンヒュームへの伝手を持っているというだけで、アムルファンでは何かと有利なのだ。焦ってノンヒュームたちに引かれるような真似はしない、する必要が無い。幸いにしてここはエルギン、イラストリアでも屈指のノンヒュームが多い町である。単なる顔繋ぎ程度であれば難しくはなかった。
況して今のエルギンは、モルファン王女の留学――この情報に関してはラスコーも既に承知している――に絡んでの整備の真っ最中であり、それに関わる商人たちやノンヒュームとの伝手を求める商人たちでごった返している。アムルファンの一商人が挨拶に廻ったところで、怪しまれる事は無い。……逆に顔を憶えてもらい辛いというデメリットもあるのだが、そこは努力でどうにかするしかない。
そうやってせっせと挨拶に廻っていた精勤ぶりを神が憐れみ給うたのか、ラスコーはここで二つの重要な情報を手に入れる事ができた。




