第二百三十四章 「ココア」を巡るあれこれの事情 4.クロウ(その2)
ローク豆の飲料に対して「ココア」という名称を不用意に使用した場合、その齟齬は提供者の正体或いは出自について、どういう情報をもたらす事になるのか。
導き出される情報の第一は、提供者はローク豆とカカオの双方を知っている者だという事であろう。
『まぁ、地球だとイナゴマメとカカオの原産地は全く別だからな。こっちの世界でも同じだとすると、両者を知っている者は案外と少ないかもしれん』
『成る程……』
第二に、ローク豆は提供できたがカカオ豆は提供できなかった、或いは提供しなかったという事が明らかになる。
『これも地球と同じだとすると、カカオ豆からカカオマスを得るのは結構面倒なんだ。先に醗酵させてから焙煎する必要があるんでな』
対してキャロブ或いはイナゴマメの場合は、醗酵という過程は必要無い。ゆえに製造の手間もコストもこちらの方が低くなる。生産者側にとっては有り難い話なのだが、
『どういう訳か地球では、普及しているのはココアの方だ。キャロブは最近になって知られてきたという感じだな』
それが第三の情報と関連する。すなわち、何らかの理由に基づいて、ロークココアをココアの名で提供するという判断を下したという事。
両者の知名度と普及率に鑑みての事だとするなら、それは自ずと第四の情報を導く事になる。すなわち――
『必然的に、俺は「ココア」が普及している場所の出だという事になる』
『『『『『う~ん』』』』』
情報の指し示す内容がかなり錯綜しているので、クロウの正体を探ろうとする者はかなりの迷走を強いられるだろうが、
『好奇心を掻き立てられるってだけで面倒だろうが』
成る程――と、一旦は納得しかけた眷属たちであるが、ここでシャノアがある事に気付く。
『……だけどクロウ、それはローク豆として提供した時も同じじゃないの?』
名称の混乱による違和感は避けられるだろうが、今度はクロウの出自がローク豆の栽培地に限定される。そこでクロウの足跡を見出す事ができなければ――見出せないのは確定している――新たな疑念の種を蒔くだけではないのか?
『あぁ。だから「ローク豆」でも「カカオ」でもない、全く別の名前で提供してやればどうかと思ってな』
それなら単にローク豆の地方名だと思われるだけだ。実在するかどうかも定かでないその場所を探して、好奇心の主が右往左往する事になるかもしれないが、そんなのはクロウの斟酌するところではない。
ちなみに地球では、「ココア」にしろ「チョコレート」にしろ、現地で元から使われていた語ではないという。ヨーロッパ人が利用法を見出してから、現地の言葉に肖るかどうかして言い出したものらしい。
ゆえにこちらの世界でも、今の時点ではまだ「ココア」や「チョコレート」に準じる語句が現れていない可能性も無い訳ではない。しかしその一方で、海の向こうのどこかの国が、既にカカオの利用法を発見している可能性だってある訳だ。
杞憂かもしれないが、その杞憂が現実になった時が面倒である――というクロウの指摘には、眷属たちも頷かざるを得ない。
斯くの如き舞台裏での一幕を経て、今後ローク豆から作られるココア様飲料は、地球におけるイナゴマメの現地名であるキャロブcarobをもじった「ボラbora」という名で供される事に決まったのであった。




