第二百三十一章 折り鶴のメッセージ 16.エルギン ノンヒューム連絡会議事務局
その日、ホルン・トウバ・ダイムを始めとする連絡会議首脳部の面々は、イラストリア王家から内々で打診された要望に困り果てていた。
「ノンヒュームの文化や風習に詳しい者を、学院の講師として招聘したい――と、言われてもなぁ……」
「うむ。長老クラスならそれは詳しいだろうが、彼らは人族との交流がほとんど無い者が大半だ。我らならともかく、人族相手の講師役としては……」
「適任とは思えんな、確かに」
長老クラスのノンヒュームが人族と関わりが薄いのは概ね事実であるが、別に長老たちが人族を忌み嫌っている訳ではない。頼まれれば――多少困った顔はするかもしれないが――講師就任は引き受けるであろう。ただし……
「人族相手に我らノンヒュームの文化や風習を、就中その特徴を説明するとなると」
「あぁ、人族の文化や風習を知悉している事が大前提だろう。でなくては、どこに差異があるのかすら判らんからな」
「加えて説明の才も要る。それも、人族相手に説明する才が――な」
……どう考えても、長老たちには荷が重そうだ。
いや、説明の才もしくは経験が無い訳ではないが、それは飽くまで同族相手、言い換えると同じ文化を共有している相手に対してである。その根本から異なる相手に対しての説明となると、最低でも人族相手の交渉を経験した者でないと難しいだろう。
「少しでも可能性があるとしたら冒険者か、或いは鍛冶師としてやっているドワーフ辺りだろうが……」
「あいつらに〝文化や風習の〟講師役なんか務まるのか? 況して、職場はあの『学院』だぞ?」
「学院」すなわち王立講学院の生徒というのは、圧倒的に貴族の子弟が多い。がさつな冒険者に講師役が務まるかどうかは疑わしい。ドワーフの鍛冶師に至っては、口より先に手が出るかもしれない。
「それ以前に――だ。王家の要望は〝文化や風習の〟講師役だぞ? 冒険者や鍛冶師としての技術ではないだろう」
「……だな。その手の技術なら、何も態々ノンヒュームを指名する必要は無い」
「第一、専門技術の講師役なら、既に『学院』に在籍している筈だ」
――少なくとも、エルフの錬金術師とドワーフの鍛冶師は在籍している。
「そうなると……俺には手頃な相手が思い付かんな。……いや、クンツのやつなら務まるかもしれんが……」
「『鬱ぎ屋』クンツか?」
「彼は抑こんな依頼は受けんだろう」
獣人には珍しく思慮深い……と言うか、物事を深読みする質の冒険者の事を思い出すが、彼の性格から判断して、こういった依頼を受けるとは思えない。無理強いさせても良い結果にはならないだろう。
「ドランの連中にもそんな暇は無いだろうしな」
ドランの村の杜氏たちは、大車輪でビールやら新規の酒やらを試している真っ最中だ。学院に講師を派遣するなど、そんな余裕がある訳が無い。
「それ以前に、未成年が集う『学院』で、酒造りの話を講義するってなぁ拙いだろう」
「それもそうか……」
「となると……やっぱり思い付かんぞ?」
「〝餅は餅屋〟で、『学院』の講師連中に心当たりを訊くしか無いか」
「いや……一人だけなら心当たりが無い訳でもないな」
ホルンの呟きに振り返る一同。そんな都合の好い人材がいたか?
「他でもない、セルマインだ」
「あ……」
「成る程……あいつなら……」
エルフでありながら人族の間にも人脈を築いている、海千山千の商人・セルマイン。確かに彼なら交渉術すなわち話術には長けているし、ノンヒュームと人族の文化や風習、およびその違いにも詳しい。人材としては打って付けだろう。
「だが……あいつは砂糖菓子店の事で天手古舞いじゃないのか?」
「しかし、他に候補者がいない以上、彼に当たってみるしか無いだろう。本人は無理でも、誰か他に適任者を知っているかもしれん」
「それもそうか……」
「いや……他に適任者がいれば儲けものだが、その場合でも彼には受けてもらった方が良いだろう」
「王家からの注文じゃ、一人でも多くってなってたからなぁ……」
・・・・・・・・
「……冗談じゃない。そんな暇があるもんか」
連絡会議から送られて来た書面での要請――口答では巧い具合に言い抜けられてしまう虞があると判断したらしい――を読んで、セルマインは頭を抱えていた。
新たな砂糖販売ルートの構築などという難題を任されてから一年以上、どうにか砂糖菓子店の出店というところにまで辿り着いたが、その間にもあれやこれやの難題を無茶振りされてきた。次々と新商品――つい先日にはとうとう「チョコレート」とかいうものにまで手を出した――が目白押しに持ち込まれるため、その世話を見るだけでも手一杯だ。
なのに……連絡会議もこんな難題を持ち込むとは……少しはこっちの身にもなってくれ。
「ただ……イラストリア王家からの依頼となると、断るのは難しいだろうな。……多忙を盾にして非常勤――という辺りが落としどころか。……そうするには、他に生贄……候補者を紹介する必要があるな……」
悪い顔でそう呟くセルマインの脳裏には、一人のエルフの姿が浮かんでいた。自他共に認める食い道楽で、それが高じて食文化の探求にまで手を出した彼なら、この話にも乗ってくるかもしれない。無論、手土産は必要だろうが……
セルマインは頭の中で交渉の算段を巡らせていた。




