第三十二章 エルギン男爵領 2.エルギンの町
こういう場面に出くわすのが貧乏くじのホルンです。
彷徨うように男爵邸を抜け出したマールは、見事なほどあっさりと道に迷った。
もともとどこかへ行こうという当ては無かったのだが、ふらふらと歩き回るうちに男爵邸に戻る道筋を見失ったのである。不安と困惑に取り憑かれて彷徨うマールの目に、三人連れの獣人たちの姿が映った。
故国での悲劇以来、マールは亜人たちが恐ろしい。亜人たちの憎しみを受けて、自分の家は滅びたのだ。亜人全てが憎いとか厭わしいとかは思わないが、好意を抱けるわけはない。この国に入ってからも、亜人が人間の町を襲って人々を殺すのを目の当たりにした。亜人は恐ろしい。彼らを理解できないし、彼らも僕たちを理解してくれない。マールは恐怖に取り憑かれていた。
「何だ、この坊主。何でそんな目で俺たちを見る?」
「獣人がそんなに珍しいかよ」
「獲って食われそうな顔でこっちを見てやがるぜ」
マールの視線に気づいた獣人たちが、不機嫌そうにマールを見返す。マールはただ立ち竦むばかりで何も言えず、壁に背をもたせかけて震えていた。
「待ってくれ。その子に悪気があるわけじゃない」
割って入るように声をかけたのは、青いローブに身を包んだエルフの男であった。
(あのエルフは知ってる。亜人に攫われかけた時、僕を匿ってくれたエルフだ。何か手違いで連れてきたとか言ってたけど……)
ようやく顔見知りに会えたと思ったら、選りに選ってエルフだったとは。マールは自分の運の無さが心の底から情けなく思えた。しかし、エルフの男はマールのことを取りなしてくれるようで、しきりに獣人たちを宥めていた。
「その子は……エルフがらみの事件に巻き込まれて、親兄弟を全て失ったんだ。以来、エルフや亜人を見ると、身体が強張ったようになるだけだ。決して貴方たちに含むところがあったわけじゃない」
(このエルフは僕の事を知ってる!?)
それは、マールにとって二重の意味で衝撃だった。第一に、自分の正体がエルフに知られていた事。第二に、自分の正体を知ってなお、このエルフは自分を助けようとしてくれている事。
「……何だよ。そういう事か」
「……悪かったな、坊主」
「俺たちが言う事じゃないが、その、しっかり生きろよ」
「お前が誰なのかは知らんが、誰にでも生きる権利はあるんだからな」
根は悪い連中ではないのだろう。獣人たちは口々にマールに謝意を表すと、その場を立ち去って行った。遠ざかる彼らの話し声に「ひょっとしてマナステラの……」とか、「公爵家」とかいう言葉が交じっていたような気がするが、はっきりしない。安堵に包まれた身体からは強張りとともに力も抜けていくようで、マールは何も考えられなくなった。
ホルンは溜息をつくと少年の方に目を遣った。何でこう自分は面倒な事に巻き込まれるんだろう。子供の時からずっと貧乏くじを引いてきた気がする。途方に暮れたように、ホルンは目に前で腰を抜かしている少年に目を向けた。
もう一話投稿します。
地図が欲しいとのご意見がありましたので、設定資料集を別に作成しました。よろしければご覧下さい。




