第二百二十八章 モルファン王女留学問題~波紋さまざま~ 2.ホルベック卿夫妻
「馬鹿を言え! そんな真似、できる訳が無いじゃろうが!」
エルギン領主館の自室で怒号を響かせているのは、エルギン男爵――近々に陞爵するとの噂がある――オットー・ホルベック卿。そのお相手を務めているのはホルベック卿夫人。微笑ましい……かどうかは別として、夫婦の語らいの一齣である。
「エルギンに来られるモルファンの王女殿下をお迎えするに当たって、事もあろうに友禅染めのドレスを纏うなどと……お前は何を考えとるんじゃ!」
このところ風雲急を告げる事態がうち続くエルギン。そんな嵐に立ち向かう事を強いられているホルベック卿としては、「平穏無事」の四文字こそが至高の望みとなりつつあった。
なのに……ここで爆弾とも言える友禅染めを持ち出すなど、家内は一体何を考えているのだ。
貴族としての礼儀も自重も矜恃も捨てて、奥方の胸座を掴んで小一時間ほど難詰したいホルベック卿であったが、夫人には夫人の言い分があった。それも説得力満載のやつが。
「あら? だからこそですわ。既にモルファンの使節方の前で、お披露目したではありませんの」
既に公表済みだからと言って、ここで駄目押しする必要がどこにある――と、言い募りたいホルベック卿であったが、
「先だっての使節の方々にはお目にかけたものを、王女殿下にはお目にかけないというのは……ねぇ?」
「う……むぅ……」
王女殿下を軽んじている……などという誤解を招いては堪らないではないか。ここは着て見せる以外の選択肢は無い。
理路整然と言い負かされて、苦渋の決断――註.ホルベック卿視点――を下さざるを得なくなった卿であったが、
「でも……そうですわね。同じものを着回すのいうのも、確かに王女様に対してご無礼ですわね。ここは新たに一着を誂えて……」
――などと奥方が言い出したものだから、内心の不満など消し飛ぶ事になる。……と言うか、不満など漏らしていられる状況ではない。
「待て待て待て! エッジ村にそんな余裕が無い事は、お前も知っておるじゃろうが!」
既にエッジ村には、草木染めの指導のために、各地の村に人を派遣してもらっている。それだけでも村には負担が大きいというのに、実妹であるエグムンド男爵夫人、並びに義妹――ホルベック卿夫人の弟の夫人――であるオーレンス子爵夫人の分まで、手のかかる友禅染めを発注しているのだ。村への負担は如何ばかりか。
ここへ新たに友禅染めを、それも来年早々に間に合わせるように発注するとなると――
「エグムンド男爵夫人やオーレンス子爵夫人が発注しておる友禅染め、その仕上がりが遅れる事になるぞ? その説得は、当然お前がするんじゃろうな?」
「…………」
・・・・・・・・
自身の欲望と身内への忖度、そしてエルギン領主夫人という立場を天秤にかけた挙げ句、夫人は新作発注の方向でエッジ村と協議する道を選んだ。
どの程度の品を発注すると、「いもうと」たちの発注分にどれくらいの遅れが生じるのか、その遅れを可能な限り挽回するためにはどのような手段を採れば良いのか――などを検討した結果であるが。
「いもうと」たちにもその旨を通告し、不服ながらも納得してもらえた……筈であったのだが……




