第二百二十八章 モルファン王女留学問題~波紋さまざま~ 1.クロウ
モルファン王女のイラストリア留学が本決まりになり、その途中でシャルドに立ち寄って「封印遺跡」を見学する予定である事が少しずつ漏れ出すと、その影響は色々なところに波及する事になった。意外な一例を挙げるならばクロウである。
ハンス経由でその話を耳にした時には、〝ふーん、そうなのか〟という程度の感想を抱いただけであったが……ライがその事に気付いた時から、事態は一転して穏やかならざる気色を帯びてきた。
『えぇと……ますたぁ』
『うん? どうかしたか、ライ?』
『はぃ……えぇとぉ……モルファンの王女様ってぇ、来年シャルドに寄るんですよねぇ?』
『あぁ、ハンスたちの話によるとそうらしいな。……あの「遺跡」も豪く有名になったものだ』
元はイラストリア王国を牽制するためにでっち上げたフェイクだけに、今の状況を見ると内心で複雑な思いを禁じ得ない。しかし、事は既にカミングアウトで収まるような状況を超えている。どうしたものかと悩むクロウであったが……ライの次の台詞を聞いた事で、そんな殊勝な思いは綺麗さっぱり吹っ飛んだ。
『そぅするとぉ、王女様たちはぁ、バンクスにもぉ、来るんですよねぇ?』
『そう……なるな』
バンクスと言えば自分たちの越冬拠点である。聞けばモルファンの側は雪解け早々にも留学したい意向のようだが……
『……面倒事に巻き込まれるのは願い下げだな。王女の一行がやってくる前に、バンクスを離れるべきか……』
どうやら安全保障の観点から、滞在予定を変更せざるを得ないか。全くもって迷惑千万な話だと、思わず舌打ちしたクロウであったが、
『それでぇ、ますたぁはぁ、どぅするべきなんですかぁ?』
『うん? ……早めにバンクスを発てという事か?』
『そぅじゃなくてぇ、異国から来た絵師としてはぁ、王女様の一行をぉ、見なくていぃんですかぁ?』
『あ…………』
ダンジョンロード・クロウとしては、面倒を事前に回避するためにも、早めにバンクスを発つべきであろう。しかし、〝海外からこの国にやって来た絵師・クロウ〟としてはどうなのか? 留学のために訪れた王女一行と言えば、紀行画家としては絶好のモチーフではないか。
千載一遇の好機をみすみす逃すような振る舞いは、旅絵師クロウとして正しいのか?
『ご主人様の……設定を……考えますと……王女一行を……見ずに……立ち去るというのは……』
『不自然ですよねぇ、やっぱり』
『立ち去るにしても、それ相応の理由というものが必要となりましょうな』
『親戚が危篤とか?』
『主様の出身って、海の向こうって事になってるんでしょう? 報せが届いた頃にはお亡くなりになってるんじゃ?』
〝それでも報せは届くんじゃないのか?〟〝いや、間に合わないと判っている報せを、態々海の向こうから送ってくるか?〟――などと見当違いの議論を始めたキーンとウィンをスルーして、他の面々が討論を続ける。
『早急に立ち去るのが難しいといたしますと……』
『ますたぁが絵師だって事はぁ、知られてるみたぃですしぃ』
『王女とかの一行を見ないとか描かないとかいうのは、不自然よね、やっぱり』
よもやここへきて旅絵師という設定が足枷になろうとは。頭を抱えたクロウであったが、窮すれば通ずというのか、一つのアイデアが浮かんでくる。
『――いや待て! 市井の絵師風情が高貴なるお方のお姿を描くなど不敬千万……とか、言い出すやつがいるかもしれん!』
『そーゆーのを「キボーテキカンソク」って言うんじゃないの? クロウ』
『下手に確かめると、地雷というやつを踏みそうじゃのぅ』
『むむぅ……』
追い詰められた形のクロウであったが、ここでキーンが追い打ちとなる一言を無邪気に発する。
『あれ? そう言えば……ボルトン工房ってところで、マスターの版画を売ってませんでしたっけ? シャルドとか「災厄の岩窟」を描いたやつ』
『あ……』
……あの依頼が来た時に、ボルトン親方は何と言っていた?
確か……〝マーカスの国王が閲兵式をやった時のものが残っている〟とか言って、マーカス兵の版画を出してきたんじゃなかったか?
マーカスの閲兵式の様子が版画として残っているくらいなら……
『今回の王女一行の行列とやらも、作画の依頼が来たりしそうじゃな』
『きっと、バンクスに着いた途端に、親方から話が持ち込まれますよ! マスター』
『〝手薬煉を引いて待ち構えてる〟――って言うの? クロウ』
『最悪の……ケースとして……モルファン側から……肖像画の依頼が……来る事も……』
『まぁ、肖像画は専門外だとか言うて逃げられるかもしれんが……行列の方は……のぅ?』
――クロウは重大な決断を迫られようとしていた。




