第二百二十七章 てなもんや三国同舟 1.紡(つむ)がれる因果(その1)【地図あり】
奇しくもクロウがモローの双子のダンジョンで変成鉱物の調査を行なわせた丁度その日、エルギン郊外の街道をポックリポックリと平和裡に進む、馬車と騎馬から成る一行があった。
これだけなら格別ここで取り上げる必要は無いのであるが、この一行には他の隊商などとは一線を画す特徴があった。平たく言えば、そのメンバー構成である。
一行の先頭を進むのは、地味な仕立てながらも上品な馬車。贅沢は機能の方面に廻したらしく、悪路を走っているにも拘わらず車体が揺れない。一体どんな工夫を凝らしてあるのだと、目のある者なら食い付く事は請け合いである。御者を務めるのは目付きの鋭い痩身の男で、若いとも年配とも言いかねる顔つき。目配り身のこなしから察するに、どうやら斥候職であるらしい……と、持って回った言い方をしたが、早い話がバートである。
そう、これはハンスたちが乗るダンジョン馬車なのであった。
これだけならまだしも、一行の殿を務める粗末な馬車に乗っている顔ぶれがまた問題であった。御者を務めているのはイラストリア王国第一大隊第五中隊、歩兵第二小隊で最先任分隊長の任に就いているジャンスである。ついでにその隣で警戒役を務めているのは、同じ第一大隊ながら別の小隊に所属している筈のモンク兵卒。馬車の中にいるのは第一大隊第五中隊歩兵第二小隊長のボリス・カーロック他一名。
そう、こちらはローバー将軍が街道のチェックのために派遣した、〝トラブルの申し子ご一行様〟であった。軽度なトラブルを招き易いというボリスの特殊能力(?)を逆手に取って、何か問題を起こしそうな箇所を事前にチェックするという、地味ながら重要な任務を任された一行である。ちなみにモンクが同行しているのはその画才を買われての事であり、報国すべき箇所の状況を正確に描画して記録するためであったりする。
これだけでも大概に呉越同舟――ボリスたちはその事実に気付いていないが――な話であるが、両者に挟まれる形で同行している騎馬の二人がまた問題であった。
来年の王女留学に関する事前調整のためにモルファンから派遣されて来た外務官、ヴィルコート・カールシン卿とその従者一名である。
何でこんな不思議な羽目になっているのかという疑問も然る事ながら、抑ハンスたちの一行が、何で今頃こんな場所にいるのか――という疑問も浮かんでくるであろう。一月前にハンスたちがいたのはロトクリフ。ノーランドの国境関とは目と鼻の間ではなかったか?
その質問に答えるために、少しばかり長くなるが、ハンスたちがワレンビークの町を出た時にまで遡って、彼らの行程を追ってみるとしよう。
ハンスたちが――人目を引かないように然り気無く――ワレンビークの町を引き払ったのが、九月の下旬に差し掛かろうという頃。そこから一週間ほどでツーラに到着し、その二日後にはツーラを発った。
そして――ここで問題になるのがロトクリフの位置、より正確に言えばそこまでの道筋であった。
単にロトクリフに行くだけなら、モルファンとイスラファンの国境線沿いにイスラファン側に移動すれば行けるのだが、その経路は細い山径であり、馬車などは到底通る事ができないのである。
馬車に乗ったままロトクリフに行こうとするならば、一旦ノイワルデまで戻って、そこから細い脇道を通ってロトクリフに行くしか無い。ゆえに、他に選択肢の無いハンスたちも当然このルートを選んだのであったが……ノイワルデに辿り着いたところで、そこの冒険者ギルドから、物資の搬送に協力してもらえないかという打診があったのである。
何しろ来年の王女留学に向けて、泥縄なる事この上無しという状況で街道の整備が始まったものだから、人手も運搬手段も不充分。猫の手どころか鼠の手……いや、借りれるものなら黄金虫の手でも借りたいという為体。それこそ藁にも縋る思いで、冒険者であるカイトたちの乗る馬車に声を掛けたという次第なのであった。
予想外の頼みを受けて驚いたものの、モルファンの冒険者ギルドと好い関係を築いておく事は、長い目で見ればメリットの方が大きいだろうとハンス――一応は彼が馬車の持ち主という事になっている――も判断。五日間のみという条件でその依頼を受けたのだが、それだけでもギルドからは甚く感謝されたのであった。
ノイワルデの町を出て六日目に、ハンス念願のロトクリフに到着。そこで想定外のあれやこれやに巻き込まれた件については既に述べた。ロトクリフには六日ほど滞在し、七日目にノイワルデに向けて出立した。
七日後に再びノイワルデの町に辿り着いたところが……読者諸賢のご想像のとおり、またしても冒険者ギルドに泣き付かれ、またぞろ搬送依頼に奔走する羽目になったのであった。
――とまぁこんな感じに時間を費やし、ロトクリフを出てからほぼ一月後の今日、こうしてエルギンへの道を進んでいるという訳なのであった。
日程の問題については納得してもらえたと思うが、では、どういった経緯でイスラファン組およびモルファン組と隊伍を組んで進む羽目になったのかというと……その発端はモルファン側の事情にまで遡る。




