第二百二十四章 混沌、イスラファン 12.ナイハルの死霊術師(その1)
クロウがやらかした「百鬼夜行」の件で各国上層部が頭を抱えている頃、死霊術師のスキットルはと言うと、ナイハルの町に足を踏み入れていた。
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実はここへ来る前にスキットルはガット村と、「泥田坊」が出たというネジド村手前の街道筋にも足を運んだのだが、何れの場所でも怨霊の痕跡は影も形も見当たらなかった。特にガット村では、〝スケイルの採食体〟が群れを成して現れたというパン焼き窯も検分させてもらえたが、こちらも怨霊の痕跡は無し。村人たちが恐れているダンジョンに関しても――
〝いえ……ダンジョンというのは一種の有機的生命体ですから、成長するにはそれなりに時間がかかるんですよ。僅か一月のうちにパン焼き窯が、それも誰一人として気付く事が無いままに、ダンジョン化するなんてあり得ません〟
――クロウなら瞬き一つの間にダンジョン化できる。
〝それに、繰り返しますがダンジョンというのは一種の生命体……群体と言っても差し支えありません。村のパン焼き窯のように、充分な餌を獲れないサイズと場所を選ぶ筈がありませんよ〟
――クロウのダンジョンには、防空巡洋艦から透明ボールに至るまで、様々なサイズとタイプが揃っている。魔力はクロウ自身が供給できるので、獲物の有る無しなど問題ではない。
〝確かに、ダンジョンに関しては自分は専門家ではありませんが、少なくともこのパン焼き窯がダンジョンだとは思えません。……では何なのかと訊かれると困りますが〟
〝ははぁ……〟
〝噂だと、冒険者ギルドがこの辺りにダンジョンがあるかどうかを調べるという話ですから、その調査を待つのが上策でしょう。実は自分も、怨霊の痕跡の有無について、冒険者ギルドに報告するよう求められていまして。自分はまだ駆け出しなので荷が重いと言ったんですが、直ぐに派遣できる死霊術師の当てが無いからと……暫定的な報告でいいのならという条件で引き受けざるを得ませんでした〟
〝ははぁ……〟
――というような次第で、各村での調査を終えていたのである。
ちなみにガット村は、使用禁止になったパン焼き窯の代わりを造らざるを得なくなったが、その代金はヤルタ教に請求すると息巻いていた。その一方で封印されたパン焼き窯の方は、村の名物として観光資源扱いされる事に決まっていると言う。既に何人かの観光客が訪れて「外貨」を落としているそうで、村長などはホクホク顔であったが、
〝いんや、村の名物となったパン焼き窯と実際にパンを焼く新たな窯とは別問題ですきにの〟
――という事らしい。
それはともかく、ガット村の後で「泥田坊」の現場を検分したスキットルは、一応ネジド村へ行くかどうか迷ったが、ネジド村では何の怪異も確認されていないそうだし、それよりはナイハルに足を伸ばして、「泥田坊」を見たという元・金貸しに話を聴いた方が有為であろうと判断した。
そんな次第でスキットルは、ナイハルの町を訪れたのであったが……
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「……〝返せ、返せ〟――ですか?」
「はい。街道脇の地面から這い出してきた泥人形が口を揃えて……生きた心地もしませんでした」
「ははぁ……」
「手前もこれまで、業の深い生き様を晒してまいりました。借金の質に人様のものを取り上げたのも、一度や二度ではございません。その報いがこの身に返ってきたのだと思うと……」
――それは〝取り上げた〟というのとは少し違うのではないかと、内心で首を捻るスキットル。どちらかと言うと真っ当な商取引の範囲に思える。
スキットルはここを訪ねる前にナイハルの冒険者ギルドを訪れて、怨霊の暫定調査の結果を報告している。そのついでにこの元・金貸しについても、その為人を始めとする基礎情報は訊き込んでおいたのだが……
(……〝契約に厳しいところはあったが、阿漕な真似はした事が無い。入金の当てがあるというなら、返済期限を延ばしてやった事も一度ならずあった〟――って、口を揃えて証言してたからなぁ……)
(……大体、この金貸しさんが怨まれているのなら、何でネジド村の手前なんかで化けて出たんだ? 場所的にも話がおかしいだろう?)
――スキットルが唯一思い付いたのは、〝一連の怪異で活性化された怨霊が、「金貸し」という職業に反応して現れた〟――という解釈であったが、だとすると現場に怨霊の痕跡が残っていないというのは腑に落ちない。この解釈だと件の怨霊は、厳密に言えば一連の怪異とは無関係の筈で、ゆえに山奥へ立ち去る理由が思い付かない。抑そんなにあっさりと立ち去るようなら、地縛霊として現場に留まっているというのは不自然である。
(その「現場」っていうのもなぁ……何の変哲も無いただの街道脇だし、債務者が大挙して死んだって話も聞いた事が無いって言ってたし……?)
嘗てナイハルの神官が抱いたのと同じ当惑を、スキットルも抱く事になったのであった。




