第二百二十四章 混沌、イスラファン 11.モルファン~情報部の迷走~
実は――イスラファンに限らず沿岸国では、海外との交易品の材料や造船材料を確保するために山林の保護・育成に力を入れており、植林も盛んに為されている。その流れでいわゆる魚付き林が整備され、良好な漁場を育成する事になったため、沿岸漁業も盛んである。ここで得られた海産物やその加工品は、内地の国々への重要な輸出品となっている。木材としての樹種が優先される傾向はあるが、モンスターの魔石を始めとする様々な素材を得るために、森林環境の多様性にも目を配っている。
ただ、嘗て植林地を拡大する際に遭遇したダンジョンは何れも討伐されており、森林の大半が何らかの管理を施されている事もあって、国内にダンジョンがあるという話は聞こえてこない。
そういう事情を聞いている上司は疑念を隠さなかったのであるが……
「いえ。確かにイスラファンの国内にダンジョンがあるとは聞いていませんが、イスラファンの冒険者がダンジョン未経験という訳ではありません。イラストリアとの国境を成す『神々の西回廊』がありますから」
「あぁ……それがあったか」
――ならダンジョンの捜索を任せても大丈夫だろうという話になって、イスラファンの冒険者がベジン村からネジド村に至る範囲で、ダンジョンを探して廻るという素案が纏められる。モルファンの上層部やイスラファンがこの提案を受け容れるかどうかという問題はあるし、半ば以上は政治的なセレモニーという側面が強いとは言え……クロウにとっては望ましくない展開であった。
「さて……」
斯界には〝探偵は みんな集めて さてといい〟――という句があるという。
別にその顰みに倣った訳でもあるまいが、情報部の責任者氏はそう言って部下たちの顔を見回した。
「さっきも〝陽動〟という言葉が出たが、俺たちとしてはその件についても考えておく必要がある。……一連の怪異騒ぎは陽動なのか? もしも陽動だとすると、誰が、何の目的で、こんな騒ぎを仕組んだのか?」
情報部の職掌的には、こちらこそが関心を引かれる問題であった。
「……結果だけを見れば、イスラファンに対する経済攻撃にも思えますが……」
「そんな動機を持つ者がいるか? それも、ここまで手の込んだ真似をして?」
イスラファンの商人を競争相手と見做す者はいるだろうが、ここまでの騒ぎを演出する程に強い動機を持つ者がいるだろうか。
「やはり単なる怪異現象であって、何者かの思惑とは無関係なのでしょうか?」
「そうとも考えられるが……イスラファンへの経済攻撃が目的ではないのかもしれん」
難しい顔付きで訥々と語る責任者氏。〝単なる怪異現象〟という大概な語句は綺麗にスルーである。それは自分たちの職掌ではない
「……と、仰いますと?」
「我ながら考え過ぎだと思うんだが……この騒ぎのせいで、俺たち情報部の目も、イスラファンの南に引き付けられた」
「……はぁ?」
「それはそうですが……」
不得要領な顔付きの部下たちに、〝まぁ聞け〟と言って言葉を続ける上司の男。
「イスラファンの南側に引き付けられたという事は、イスラファンの北側は注意が疎かになったという事だ。……言い換えると、我がモルファンの南側という事だな」
――その言葉の意味するところに気付いた数名が顔色を変える。
「来年に予定されている王女殿下の留学では、ご一行はモルファンの南側を通る事が予定されている。街道の整備は既に始まっているから、多くの冒険者がそっちに廻っているし、イスラファンからも何人かの冒険者が来ているという話だ。とは言え……」
――と、ここで責任者氏は一旦言葉を切った。
「……先程の話が表に出ると、ダンジョンアタックの経験のある冒険者は、挙ってそっちに行くかもしれん。イスラファンはここより暖かいしな」
上司は再び言葉を切って、黙り込んだ部下たちを見回した。
「どう思う?」
文中に挙げた川柳〝探偵は みんな集めて さてといい〟は、横溝正史(1946;角川文庫1973)「蝶々殺人事件」に、推理作家S.Y氏の作として出てきます。




