第二百二十四章 混沌、イスラファン 9.モルファン~情報部の困惑~(その1)
クロウが仕組んだ「百鬼夜行」は彼方此方へ様々な影響を及ぼすに至ったが、その影響は必ずしもベジン村直近の範囲に留まってはいなかった。その一例が北の大国モルファンである。彼の国においてその影響を被ったのは、主に二つの部署であった。
その一つは外務である。
沿岸国の盟主と自他共に認めるモルファンにとっても、友邦イスラファン国内の流通に悪影響が出るのは看過できなかった。況して問題となっている街道は、沿岸部からイラストリアに至るほぼ唯一の、そして最も規模の大きい直通街道なのである。イラストリアへの接近を企図しているモルファンとしては、仮令それが自国を経由するものでなくとも、彼の国へのルートが不振に陥るのを安閑と眺めている訳にはいかなかったのである。
とは言っても、問題の街道があるのは、友邦とはいえ他国内。大国モルファンと雖も勝手にどうこうできる場所ではない。件の街道について広まりつつある悪評に如何に対処すべきか。頭を痛める日々が続いているのであった。
もう一つ影響を被ったのは情報部であったが、こちらへの影響は国家中枢からのきついお叱りという形で現れた。
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「言い訳のできる状況じゃない――それはお前らも解っている筈だ。何しろベジン村の調査を終えて、異常無しと報告した舌の根も乾かぬうちにあの騒ぎだ。情報部の面目は地に堕ちた」
苦い顔付きで言い放つ情報部の責任者。その苦言を聞かされている面々は、皆俯くばかりで声を上げようとしない。自分たちの失態を理解しているようであった。
その様子を見た責任者氏は、
「嫌味はこのくらいにして……この件に関して何か言いたい事はあるか?」
失態は失態として反省してもらうが、その失態に萎縮して肝心の諜報活動が疎かになっては本末転倒である。その辺りを履き違える者はこの場にはいなかった。
挑発的な上司の発言に――些か決まり悪げにではあったが――応じたのは、ベジン村の調査に赴いた班のリーダーであった。
「目立たない事気付かれない事を最優先にしたため、万全の調査ができたとは言えません。しかし――そうだとしてもあの時点で、ベジン村界隈におかしな予兆は見られなかったと断言できます」
「……それは専門家としての意見か?」
「そう受け取って戴いて構いません」
ベジン村に関しては、何しろ報告されているのが怪談話なので、その手のスキルを持つ者を選んで調査に送り込んでいた。その面々の見たところ、件の植林地跡には怨霊のような気配は見当たらなかったし、ヤルタ教の伝道士とやらが行なった儀式の跡にもおかしなものは見られなかった。
言い換えると、あのような大騒ぎが発生する事を示唆するようなものは何も無かったのである。
……と、いう事は……あの「百鬼夜行」は自然に発生したものではない……?
「……植林地での悲劇とは全く別に、何者かがあの騒ぎを仕組んだ……そう言いたいのか?」
「少なくとも、その可能性を除外する訳にはいかないと思います」
「ふむ……」
上司が気にしているのはあの騒ぎが、まさに自分たちの調査の後で巻き起こったという事である。騒ぎを仕掛けた連中は、調査に差し向けた者たちがモルファンの密偵だと見破っていたというのか? 一つの可能性、それもごく小さな可能性でしかないが、看過するには危険すぎる内容である。
――上司は暫しの黙考の上で、この懸念を一旦棚上げにする事にした。
どこの密偵云々ではなく、単に村から他所者が消えたのを見計らって騒ぎを起こした――と考えた方が現実的だと思い直したのである。確かに気になる懸念ではあるが、それを気にし過ぎて疑心暗鬼に陥るのも問題だろう。一応頭の隅には置いておく――今のところはそれだけでいいだろう。
そうなると次に気になるのは、〝誰が〟〝何の目的で〟という事であるが……イスラファンの現状に鑑みた場合、それより優先すべき問題があった。
「ダンジョンが現れたという噂話についてはどう思う?」
愚にも付かない与太噺だとは思うが、このところ彼方此方にポコポコとダンジョンが湧いて出ている状況を考えると、軽々しく一笑に付すのも考えものだ。ここは一応、部下たちの意見も聞いておいた方が良いだろう。
「あまりにも既知のダンジョンの挙動とは違い過ぎます。無理があるのでは?」
――という意見に賛同する者が多かったが、その中で独り懸念を表した者がいた。




